平成31年1月6日(日)  目次へ  前回に戻る

むちゃくちゃである。

体調悪化をおして次々と逃亡してしまった肝冷斎一族。一部は今日まで活動が確認されていたが・・・。もはや潰滅状態であるといえよう。

一族の財産の管理を任されましたわたくし近眼斎の方でしばらくこのHPも管理させていただきます。なお、わたくしは肝冷斎とは別の一族、もちろん職場のことは関係ありませんので、職場に誰も出て来ないからといってわたくしに連絡をいただいても対応できませんからね。

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さて、ごあいさつがてらですが、みなさん、「五百斤肉磨」というコトバを御存じですか。

普通のひとは知らないと思いますが、知っているひともいたのです。

五代の時期、めまぐるしく変わる王朝の中に、石氏の晋という国がございました。歴史上、「石晋」とか「後晋」と呼ばれますが、この石晋の初代(といっても二代、足かけ11年で滅亡しますが)の高祖・石敬瑭の側近に、廖習之という宦官がおられました。

このひと、

体質魁梧、食量寛博。

体質は魁梧(かいご)にして、食量は寛博なり。

からだつきは巨大で、食べる量はたいへんな多さであった。

すばらしい。

そして、

食物勇捷有若豺虎。

物を食らうに勇捷なること、豺・虎のごとし。

何かを食べるときには、すごい勢いで早食いする。その様子は、まるで、やまねこやトラのようであった。

そこで、皇帝がおっしゃった。

卿腹中不是脾胃、乃五百斤肉磨。

卿の腹中、これ脾胃ならず、すなわち五百斤肉磨(ごひゃくきんにくま)ならん。

唐〜宋間の一斤は約600グラムです。

「おまえの腹の中には、ふつうのニンゲンみたいに胃とかもろもろの内臓など入っておらぬ。300キログラムの肉製のひきうすが入っているのじゃろう」

まわりの者たち、

「わはは、わはは」

廖習之は、

「おお、たいへんな名誉にござります」

と大いに感謝したとのことでございます。

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宋・陶穀「清異録」巻三より。この本、今ではもう誰も覚えていない、唐・五代・宋のころの「変な熟語」を大量に解説してくれており、実にオモシロいんです。正月中こればっかり読んでました。今後もたくさんご紹介しますよ。

それにしても、

「どうなっとるんじゃ、見てみよう」「わーい、やめてくださいよー」

と切り開かれなくてよかったですね。正月早々さすがにその系統は紹介したくなかったからなあ。

 

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