めでたい五色のカメである。
新年早々、肝冷斎が逃亡しました。年末に風邪を引いたのに、年越し詣りやらスーパー銭湯やらフィールドワークにかまけ、ついに
「体調悪いから、会社も行かないし、更新もしない!」
と言い出したのです。仕方が無いので今日はわたくし胆冷斎が更新しますが、わしも明日は体調悪いのをおして深夜バスでフィールドワークに出かけますのじゃ。何にもしたくないから、帰ってきたらそのまま倒れることにしようかなー。
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もう三日なんですが、元日だったと考えてください。
陛下(おそらく文武天皇)から漢詩を作って提出するように命ぜられたとして、作ってください。さあ、どうぞ!
・・・と言われても普通のひとは作れません。むかしのひとの参考にしてみようかな。
正朝観万国、 正朝、万国を観、
元日臨兆民。 元日、兆民に臨む。
正月の朝廷に万国の使者と会見し、
元日のお目見えで億兆の人民たちに謁見を賜る。
天子様がしっかりしておられるので、平和な元旦を迎えることができました。
天子様は、
斉政敷玄造、 政を斉(ととの)えては玄造を敷き、
撫機御紫宸。 機を撫しては紫宸に御す。
政治を整備され、天の造った道を推し進め、
時代をかえる機会を手にされて、紫宸殿におわします。
「機」は「きっかけ」として訳してみましたが、「北斗七星」をいう、という古い注釈もあるそうです。
年華已非故、 年華すでに故にあらず、
淑気亦惟新。 淑気またこれ新たなり。
年の花やぎも去年とは違い、
穏やかな気分がまた新しく満ち満ちている。
これは年号が「大宝」に変わった、ということを言っているのではないかと思います。大宝元年は701年。
鮮雲秀五彩、 鮮雲は五いろの彩に秀で、
麗景輝三春。 麗景は三つきの春に輝けり。
雲は鮮やかな五色に彩られてすばらしく、
うるわしき景色は春の初めにぴかぴか光って見えまする。
このような状況下、
済済周行士、 済済(せいせい)たるは周行の士にして、
穆穆我朝人。 穆穆(ぼくぼく)たるは我が朝の人なり。
かつて同じようにすばらしかったチャイナの周の時代にもたくさんの人材がそろっていたというが、
今の我が朝廷にも和やかで尊敬できるひとびとが多くいるではありませんか。
ああ、すばらしい。
なお、「済済」(せいせい)は、もとは「威儀の盛んな様子」ですが、「詩経」文王に、
済済多士、文王以寧。
済済たる多士、文王以て寧(やす)んず。
威儀の盛んな多くの人材がそろうたので、文王さまもこれでご安心。
と謳われてから、「多くの士」の意味に使われるようになりました。熊本にある学校はもちろんこれを典拠にしています。
感徳遊天沢、 徳に感じては天の沢に遊び、
飲和惟聖塵。 和を飲んで聖塵を惟(おも)う。
天子様の徳に感激して、この天の池(のごとき宮中の池)のほとりで楽しませていただき、
和やかな思いをいただき、聖なるもののかけらなりとも感じたい、と思っております。
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「懐風藻」より贈正一位太政大臣藤原朝臣史(ふひと)の「元日応詔」(元日、詔に応ず)一首でございます。一見して、上手ではない。いろんな故事を使っているように見えますが、自分の感動を伝えるようなレベルには至っていない・・・といわれるんですが、何しろ藤原不比等さまのものなので、これを真似しておけば大丈夫だと思います。