平成30年12月26日(水)  目次へ  前回に戻る

カメ、オオサンショウウオ、カッパ。かれらの表情などから、厳しい自然淘汰がうかがわれる。

今日はスシ食った。今日も無為であった。こんなことでいいのか?

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明の時代のことですが、浙江の海浜に一人の僧がいた。

毎夜登補陀山巓、高声誦仏、響振林谷。

毎夜、補陀山の巓に登り、高声に仏を誦し、林谷を響振す。

毎晩、沖の舟山諸島にある補陀落山の頂きに登り、大声で仏の名前を唱えるのだが、その声は林や谷に響き渡って木々や地面を振動させるのであった。

補陀落山(ポータラカ)は観音菩薩がおられるという南海の浄土ですが、チャイナではこれが舟山諸島にある実際の山に比定されていた。その山に登って大声を出していたらしい。

大声を出すやつはあちこちにいますが、このひとは、

雖風雨雪霰之夕、端坐誦之如故。

風雨雪霰の夕といえども、端坐してこれを誦すること故(もと)の如し。

風が吹いたり雨や雪や霰が降る晩であっても、いつもどおり正座して声を上げているのであった。

そこで、

人遂呼為響仏和尚矣。

人ついに呼びて響仏和尚と為す。

ひとびとはとうとう、彼のことを「仏の名を響かす和尚さん」と呼ぶようになった。

このひと、後に

曾遊呉中、止於報国寺、許久方去。莫知其名号郷国也。

かつて呉中に遊び、報国寺に止まりて、許(やや)久しくしてまさに去る。その名号郷国を知るなし。

一度、呉中の町に出かけ、そこの報国寺というお寺に宿泊して、しばらくいて、それからいなくなってしまった。そして、その本名や法名、郷里がどこかなどを知る者はだれ一人いなかったのである。

その行方を知る者もまた、いなかったのである。

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明・銭希言「獪園」第五より。このひとのように厳しく生きなければなりません。よし、明日からは毎晩、大声を出すことにします。

 

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