傑作というべきハニワ図。王さまや諸侯に仕官していない高潔な士の描いたものであろうか。
本日は忘年会。うまかった。案外おもしろかった。帰りにネコに餌付け成功。いくつかのことはうまくいったのだ。こんなときにこそ身を引くのがいいのカモ・・・。
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清の時代のことです。
蘇州・長洲の徐某という人、
富而慳、親友借貸、拒弗見也。
富にして慳、親友も借貸は拒みて見(まみ)えず。
お金持ちだがケチで、親戚や友人でも借金の相談に来た者とは会いもしなかった。
徐には一人息子がいた。その子は、年齢は二十前後であったが、
頗思幹蠱、毎為延接、或私自周給之。 ・・・@
頗る幹蠱(かんこ)を思い、つねに延接を為して、あるいは私(ひそ)かに自らこれに周給す。
「幹蠱」というのは見慣れないコトバですが、「蠱」(こ)は「事」。ただし皿の上に虫がいる、という文字形から、「(虫食いによる)壊乱」の意味もあり、悪い状況になっている「事」をいうのがふつうです。「幹」は事態の処理に中心になって対応する意。
実は「幹蠱」は「易経」の中のコトバで、「蠱」卦(上が☶、下が☴の卦)の
初爻:幹父之蠱。有子、考无咎、q終吉。
父の蠱に幹す。子有り、考(ちち)に咎無し、q(あや)うけれども終に吉。
父親の仕出かした事件を処理する。そんな息子がいたら、父親は罰を免れ、危険ではあるが最終的にはうまくいくであろう。
二爻:幹母之蠱。不可貞。
母の蠱に幹す。貞にすべからず。
母親の仕出かした事件を処理する。きれいごとだけではすまないだろう。
三爻:幹父之蠱。小有悔、无大咎。
父の蠱に幹す。小(すこ)しく悔有るも、大いなる咎無し。
父親の仕出かした事件を処理する。少々反省点は残るが、大きな罰は免れる。
四爻:裕父之蠱。往見咎。
父の蠱を裕かにす。往けば咎せらる。
父親の仕出かした事件を寛大に処理する。こちらから出向けば罰があるだろう。
五爻:幹父之蠱。用誉。
父の蠱に幹す。用(もっ)て誉とせらる。
父親の仕出かした事件を処理する。それによって名誉を与えられるだろう。
の一・二・三・五爻に出てまいります。
・・・以上から、@を現代語に訳してみますと、
父親の失敗を処理することにたいへん熱心で、つねに(父が面会を断った)人に会い、時には自らそっとその人を助けたりしていた。
となります。
このような息子の行動に、ケチの父は、
大怒、以爲不肖、俟其見客時、持杖撻之、欲以絶其将来。
大いに怒り、以て不肖と為し、その見客の時を俟ちて、杖を持してこれを撻(う)ち、以てその将来するを絶せんとす。
激怒して、親不孝だと考え、息子が客に会っているときを見計らって、その場に行き、杖で息子を打ち叩いて、彼が(人を助けようと)持ち込むことを禁止しようとしたのであった。
ところが、杖で打たれた息子はそのまま寝付いてしまい、
医薬難治。
医薬治し難し。
医者も見放すような状態になってしまった。
そんなときある人が言うには、
獺肝可療也。
獺の肝、療すべきなり。
「もしかしたらカワウソの肝臓を食べさせると、治るかも知れません」
そこで、
重値尋覓、得一小獺、取其肝。
重値にて尋ね覓め、一小獺を得、その肝を取る。
たいへんなおカネを出してそれを求め、小さなコドモのカワウソを入手して、殺して肝臓を捕り出した。
その肝臓を息子に食わせようとしたとき、息子にカワウソの霊が憑りついてしまった。
息子はうわごとに、
殺吾子以療爾子、豈天理之所能容乎。
吾が子を殺して以て爾の子を療するは、あに天理のよく容るるところならんや。
「わしの子をコロしておまえの子を治そうとは、そんなことがお天道様の許すことだと思うのか!」
と言い、キモを飲もうとしないのである。
徐某は呪術家に依頼していろいろ祈祷してもらったが、
卒無効。
ついに効無し。
とうとう効果は無かった。
息子は薬を飲まずに死んでしまったのだ。
ついで徐自身も
癲癇以死、而家道貧矣。
癲癇以て死し、家道貧なり。
突如発狂して死んでしまい、それ以降、徐家は衰えて貧しくなっていった。
・・・のでございました。
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清・銭泳「履園叢話」十六より。カワウソはコワいですねー。
ところで、先ほどの「易」の蠱卦、六爻のうちの最後である「上爻」の爻辞は初〜五爻と趣きが違い、
不事王侯、高尚其事。
王侯に事(つか)えず、その事を高尚にす。
王さまや諸侯に仕官することなく、高潔に暮らす。
という「易」の中でも屈指のかっこいい爻辞となっております。「高尚」の語源でもあります。
よし、わたくしも王侯に仕えずその事を高尚にすることとしましたぞ。とりあえず明日の夕方からしばらく会社に行くのは止めて、どこかに隠れます。暖かいところがいいな。というわけでしばらく、あるいは永遠に、更新はされないであろう。さようなら。