精神を一に絞って頑張れば、ぶたの力を結集した草の家も吹き飛ばせるかも知れない。
肝冷斎(第五代)めは、なかなか戻って来んようじゃ。仕方ないのでまた一族で代筆します。
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むかしむかし、いずれのころのことでございましたろうか。
常羊というひとが、屠龍子朱のところに弓射の術を学びに行った。
すると、屠龍子朱は常羊に問うた。
若欲聞射道乎。
なんじ、射の道を聞かんと欲するか。
「おまえは、弓射の道について聞きたいのか?」
「はい、そうです」
すると、屠龍子朱はこんなことを言い出した。
楚王田于雲夢、使虞人起禽而射之。禽発、鹿出于王左、麋交于王右。
楚王の雲夢(うんぼう)に田(でん)し、虞人をして禽を起こしてこれを射んとす。禽発し、鹿は王の左に出で、麋は王の右に交わる。
「雲夢(うんぼう)の沢」は古代、長江中流域の楚の国の領域にあった巨大な沼沢地帯です。「田」(でん)は狩猟のこと。「虞人」(ぐじん)は山林や沼沢の管理をする役人。
―――楚の王が雲夢の沢で狩猟を行ったとき、管理人に命じて獲物を駆り出させ、それを射ようとした。獲物は駆り出され、シカは王の左の方に出現し、トナカイは王の右の方に走り出て来た。
王引弓欲射。
王は弓を引きて射んと欲す。
王は弓を引いて、どちらかを射よう、とした。
その時、さらに、
有鵠払王旃而過、翼若垂雲。
鵠の王の旃(せん)を払いて過ぎ、翼は雲に垂るるがごとき有り。
「旃」は「旗」の一種です。赤い旗で、ひとびとを集めるときに建てるものであるという。
巨大な白鳥が、王の居場所を示す赤い旗をかすめて飛び立った。その翼は、雲に触れるぐらいに大きかった。
「むむむ!」
王注矢于弓、不知其所為。
王、矢を弓に注ぐも、その為すところを知らず。
王は矢を弓につがえたまま、どうしようもなくなってしまった。
的が多すぎて、どれを射ればよいのか判断できず、その術を施すところが無くなったのである。
―――さて。
屠龍子朱は常羊に向かって言った。
―――わしの師匠は養叔進というが、その師匠は、そのとき、楚王にこう言ったそうだ。
臣之射也、置一葉于百歩之外、而射之、十発而十中。
臣の射や、一葉を百歩の外に置きてこれを射るに十発して十中す。
「やつがれの弓射の術といいますのは、一枚の葉を百歩離れたところに置いて射ると、十回やって十回ともこれに当てることができる。
ところが、
如使置十葉焉、則中不中、非臣所能必矣。
もし十葉を置かしむれば、中すると中せざるとは、臣のよく必するところにあらざるなり。
もし同じ距離に十枚の葉を置かしてみると、この十枚に当てられるか当てられないか、やつがれには確信はございませぬ」
目標が一でないと、どうしてもどれから狙うか、どれがたやすいかなど、いろんなことを考えてしまい、集中できなくなるのである。
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明・劉基「郁離子」下より。対象を一つに絞るとなんとかなるカモしれないみたいですよ。「一つに絞る」のは、それはそれでなかなか能力の要ることですが。
古代の文に似せた寓話集「郁離子」の作者・劉基は、明の洪武帝の参謀として「朕の張子房」と言わしめた建国の功臣そのひとで、たいへん人気のある書物ですが、今調べたらもう四年ぶりの登場のようです。長いこと肝冷斎の書斎の中で、埋もれてしまっていたのだなあ。