平成30年12月7日(金)  目次へ  前回に戻る

カメであれば数年ぐらい会社サボっても生きていけるであろう。

やっと金曜日。しかしあと数日すると月曜日だ。

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清の時代のことです。安徽・新安の江貢山というひとは布衣(役人になろうとしない民間人)であった。

あるとき、

遊黄山帰、餉雲一s。

黄山に遊びて帰り、雲一sを餉す。

安徽の聖地・黄山に出かけ、おみやげに雲を一たる持ってきた。

知人たちを集めると、そのたるを持ち出して来た。

s口糊封厚紙、刺針孔、即有濃烟一縷自孔出。

s口に厚紙を糊封し、針を刺して孔するに、即ち濃烟一縷孔より出づる有り。

たるの口のところは厚紙を糊付けしてあった。その厚紙を針で刺して穴を空けると、そこから濃い煙がひとすじ、出てきたのである。

ゆらゆらと立ちのぼった煙は、

由窗隙徐騰簷際、聚成白雲一片、久之始随風去。

窗隙より徐(おも)むろに簷際に騰(あ)がり、聚まりて白雲一片を成し、これを久しくして始めて風に随いて去れり。

窓の隙間からゆっくりと軒のあたりまで昇って行き、そこで集まってひとひらの白い雲を形成した。しばらくして、風に吹かれて流されて行ったのである。

江貢山の言うところでは、黄山以外にも、

所歴仙蹟、不可枚挙。

歴するところの仙蹟、枚挙すべからず。

これまでに行った仙人たちの活動の跡地というのは、数えきれないぐらいだそうである。

房山というところでは、

山腰一古寺、後殿三楹。

山腰の一古寺に、後殿三楹なるあり。

山の中腹の古い寺の裏側に、柱と柱の間が三間(つまり三部屋)ある建物があった。

寺僧らがそこをたいへん大切にしているので、頼んで見せてもらおうとしたが、強く断られた。寺僧の説明では、

三叟趺坐其中、不飲不食不言。

三叟その中に趺坐し、飲まず、食らわず、言わざるなり。

そこには、三人の老人が座禅を組んで座っている。彼らは何も飲まないし、何も食わないし、何もコトバを発しない。

ただじっとそこに座っているのである。

相伝元時隠此、毎三十年寺僧為之易衣一次。

相伝するに、元時ここに隠れ、三十年ごとに寺僧これがために衣を易うること一次なり、と。

伝えて言うには、モンゴル帝国の時代にここに隠れ住んだひとたちであり、三十年ごとに一回、寺の僧が彼らの服を着替えさせてやるのだそうである。

夜殿中光明如昼、其室常扃、終年無点塵。

夜にも殿中は光明の昼の如く、その室常に扃(けい)さるも、終年点塵無し。

どんな闇夜でも、その建物の中は昼間のように光輝いているのだという。その部屋はいつもカンヌキがかけられているが、一年中、塵ひとつ落ちないそうだ。

そのほかにも江貢山はいろいろ話していったが、今回はここまでとしておきます。

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「翼駉稗編」巻六より。すばらしい。このひとたちは三十年に一回着替えるだけであり、数日後に月曜日だ、などという悩みは無いのである。わしもこのひとたちのようになるために、明日から修行をはじめます。さようなら。

 

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