光輝いている星も実は数万年前の光であるから今このときには無いかも知れないのであるでぶー。
まだ水曜日だ。三日も出勤したのにまだ二日もあるとは、わけがわからん。
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むかしむかし、
光曜問乎無有曰、夫子有乎、其無有乎。
光曜、無有に問うて曰く、「夫子有りや、それ有る無きや」。
「光曜」「無有」はそれぞれ架空の人物。「ぴかぴか」と「有ること無し」の二人である。
光曜が無有に訊ねた。
「おまえさんは、あるのかね、無いのかね」
しかし、
光曜不得問。
光曜、問うを得ず。
光曜は質問を仕切れなかった。
何故ならば、
熟視其状貌、窅然空然。
その状貌を熟視するに、窅然たり、空然たり。
光曜は無有をじいっと見つめていたのだが、その姿はだんだんぼんやりしてきたり、やがて何も無くなってしまったりしたのだ。
終日視之而不見、聴之而不聞、搏之而不得也。
終日これを視れども見えず、これを聴けども聞こえず、これを搏(う)てども得ざるなり。
そのあと一日中、じっと見つめても目に映らず、じっと耳を澄ましてもその声は聞こえず、ぼかんと殴ってみようとしてもそこに実体はなかったのである。
「うーん」
光曜曰至矣。其孰能至此乎。
光曜曰く「至れるかな。それ孰(たれ)かよくここに至らんや」。
光曜は言った。
「カンペキですな。いったい誰がここまでカンペキになれたであろうか」
無有はもう無くなっていますので、そこには誰もいません。しかし、無いという者がいるはずなので、そこに向かってさらに言った。
予能有無矣。而未能無無也。及為無有矣、何従至此哉。
予、よく無有り。しかるにいまだよく無無きことあたわざるなり。有る無しと為すに及んでは、何によりてここに至らんや。
「わしだって、無い状態になることはできますが、まだ無いことが無いほどにはなれません。有ることが無い、という状態については、どうやったらここまでカンペキにやれるのか(、途方もつきませんなあ)」
しかし無有はすでに無いので答えることは無いのであった。
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「荘子」外篇「知北遊」篇より。わけわからん、と思ったひとは正しく理解したひとです。わけわからんことを書いてこちらを混乱させようとしているのだと思います。さすがは荘子、恐ろしいやつだぜ。