頭を冷やすと常識とは計り知れない世界が見えてくるでカッパ。
今日も頭を冷やしてしまようなお話です。
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北宋の時代のことでございます。ある日、鄭州刺史の韓維と、その友人、范純礼、程伊川の合わせて三人が
泛舟于穎昌西湖。
舟を穎昌の西湖に泛ぶ。
鄭州・穎昌の西湖に舟を浮かべて行楽していました。
やがて、その舟べりに小舟が寄ってきて、小舟の中から、
客将云、一官員上書、謁見大資。
客将云う、一官員上書して、大資に謁見せんとす、と。
取次役の武官が言った。
「役人が一人、大資さまに面会したいことがある、と文書を携えてやってきましたが、如何いたしましょうか」
「大資」という聞きなれないコトバがありますが、この時、韓維が「資政殿大学士」という職(皇帝の顧問役)を兼ねていたので、その略称である「大資」を敬称に使ったんです。
「そうか。行楽中ではあるが、面会しよう。お二人はゆるりとしていてくだされ・・・」
と韓維が舟中で立ち上がったとき、突然、程伊川先生が「ばん」と、机を叩いて引き留めた。
大資居位、却不求人、乃使人倒来求己。是甚道理。
大資位に居りて、却って人を求めず、すなわち人をして倒(さかし)まに己を求めに来たらしむ。これ甚(なん)の道理ぞ。
「大資どの、あなたは職位にありながら、人に知恵を求めに行かず、逆に人に自分に話しをさせに来させるとは。いったいどういうつもりなのですかな」
これを「冗談」ではなく、マジメに言い出したのである。
「まあ待て」
と范純礼が助け舟を出して、
只為正叔太執。求荐章、常事也。
ただ正叔はなはだ執なると為す。荐章(せんしょう)を求むるは常事なり。
「正叔(程伊川の字)よ、それは固執し過ぎじゃぞ。賢者から意見書を求めるのは正常なことじゃろう」
程伊川、また「ばん」と机を叩いて曰く、
不然。只為曾有不求者不与、来求者与之、遂致人如此。
然らず。ただかつて求めざる者と与(とも)にせざること有りて、求め来たる者とこれを与にせば、遂にには人をしてかくの如きに致さしめん。
「そんなことはない!! これまでに、面会に来なかった賢者とは面会してなくて、面会を求めて来た者とだけ会ったりしていたのでは、結局寄ってくる者だけが意見を言えるようになってしまうではないか!」
「なるほど」
持国便服。
持国、すなわち服せり。
持国(韓維の字)は伊川の考えに納得した。
そして面会を後回しにしたのである。
わはははは。
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と笑ってはいけません。これは「笑い話」ではなく、「近思録」巻十「政事」章に出てくる程伊川のエピソードで、士大夫たるもの、この程伊川の考え方に則り、韓維のように振る舞うべきだ、という「教訓」として取り上げられているんです。
程伊川はこのエピソードを自ら語った上、
韓持国服義最不可得。
韓持国の義に服すること、最も得べからず。
「韓持国は道理を言われると納得する、という点で、誰にも真似のできないひとだった」
と称賛までしているのです。
確かに公平性の観点からは、伊川の考えは正しいのカモ・・・。
・・・いやどう考えてもなんか変だぞ、おれはこの人たちについてはいけない、と思ってしまうわたしは、もっと頭を冷やした方がいいのかも知れませんなあ。