われわれは悪の心で強く結びついているのニャ。刑罰や賞与に基づく関係ではない。
今日も雪中に消えた肝冷斎の代わりに頭冷斎がやります。
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理想ばかり振り回しているやつは、コドモ賢者さまに頭を冷やしてもらうといいぞ。では、コドモ賢者さま、お願いします。
―――でわでわ、説教いたちまーちゅ。オロカ者でも楽しく学べるドウブツ寓話だよー。
夫虎之所以能服狗者、爪牙也。使虎釈其爪牙而使狗用之、則虎反服狗矣。
それ虎のよく狗を服する所以のものは、爪牙なり。虎をしてその爪牙を釈(す)てしめ、狗をしてこれを用ちしめば、すなわち虎反って狗に服するなり。
えーと、トラがイヌに威張り、イヌがトラの言うことを「はいはい」と聞くのは、トラに強い爪と牙があるからです。さて、トラにその爪と牙を捨てさせ、イヌにトラの爪と牙を与えて使わせたら、どうなるでしょうか。今度はトラがイヌにへりくだり、イヌの言うことを「はいはい」と聞くようになるでしょう。
わーい、わーい。イヌにペコペコするトラだ、オモシロいなー。
―――さて、この寓話からどんな知恵が導き出せるかな?
明主之所導制其臣者、二柄而已矣。
明主のその臣を導制するところのものは、二柄のみなり。
賢き君主がその臣下をコントロールする手段は、二つのレバーがあるだけなのです。
二つのレバー(柄)とは何か。
二柄者刑徳也。何謂刑徳。曰、殺戮之謂刑、慶賞之謂徳。
二柄なるものは刑と徳なり。何をか刑と徳と謂うか。曰く、殺戮これを刑と謂い、慶賞これを徳と謂う。
二つのレバーとは、「刑」と「徳」である。「刑」と「徳」とは何のことですか。それは、「殺すこと」を「刑」といい、「褒めること」を「徳」というんです。
爲人臣者畏誅罰、而利慶賞。故人主自用其刑徳、則群臣畏其威而帰其利矣。
人臣たるもの、誅罰を畏れ、慶賞を利とす。故に人主の自らその刑徳を用うれば、群臣はその威を畏れてその利に帰するなり。
臣下の者は、君主に誅殺されるのが恐ろしい。一方、褒められるのはありがたい。そこで、君主が刑と徳を自ら使用するなら、臣下どもはその恐ろしいのにビビり、そのありがたいのに服するであろう。
ところが、この世には邪悪な臣下(「姦臣」)というものがおりまして、なかなかそうはさせない。
世之姦臣不然、所悪則能得之其主而罪之、所愛則能得之其主而賞之。
世の姦臣は然らず、悪(にく)むとところはすなわちよくこれをその主に得てこれを罪し、愛するところはすなわちよくこれをその主に得てこれを賞す。
世の中の邪悪な臣下は、君主の刑と徳を恐れたりありがたがったりせず、自分のイヤなやつについては、うまく君主を利用してそいつを罪に陥れ、自分の好きなやつについては、うまく君主を利用してそいつを褒めてやる。
今人主非使賞罰之威利出於己也、聴其臣而行其賞罰、則一国之人皆畏其臣而易其君、帰其臣而去其君。此人主失刑徳之患也。
今、人主、賞罰の威利を己に出でしめず、その臣にその賞罰を行うを聴(ゆる)せば、一国の人みなその臣を畏れてその君を易(あなど)り、その臣に帰してその君を去る。これ、人主刑徳を失うの患(うれ)いなり。
もし君主が賞罰の恐ろしさとありがたさを自分から出さず、その臣下の誰かに賞罰の権限を与えたならば、一国のひとはみなその誰かを恐れて君主を侮り、その誰かに服して君主から去っていくこととなります。これは、君主が「刑」と「徳」を失ったヤバい状況といえましょう。
つまり、イヌがトラの爪と牙を使っている状態なんです。
結論。
人主者以刑徳制臣者也。今君人者釈其刑徳而使臣用之、則君反制於臣矣。
人主なるものは刑徳を以て臣を制するものなり。今、君人なる者、その刑徳を釈(す)てて臣をしてこれを用いせしむれば、すなわち君反って臣に制せらるるなり。
君主というのは、「刑」と「徳」によって臣下をコントロールする者である。ところが、君主がその「刑」と「徳」を手放し、臣下の誰かにそれを利用させるなら、君主の方がかえってその臣下にコントロールされることになるのである。
トラはその爪と牙を他者に預けてはいけません。わかりまちたかー。
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「韓非子」巻二「二柄」篇より。タメになるお話だなあ・・・と思ったのですが、わたしども臣下の下の下の方の者にはあまり関係がありませんでした。こんな話聞くだけ時間のムダであった。もっと臣下の下の方のタメになる話をしてほしいなあ。