カニだけでなく、ヒヨコ、さらにニワトリにまで柿を寄越せと呼ばわれる。おまけに背後からはコアラが狙っている。窮地に追い込まれたサルであった。
今日も疲れましたが、何かが解決したわけでもないので明日も疲れると思われます。ただ疲れるだけなんだから明日はロボが行ってこいや。
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君子之爲善易矣。
君子の善を為すは易きかな。
立派なひとが善いことをしようとすると、うまくいく。
と申します。
春秋の時代、斉の景公さまが、梧丘の野に狩りにお出かけになった時のこと。
夜猶早、公姑坐睡而夢。有五丈夫、北面韋廬、称無罪。
夜なお早きに、公しばらく坐睡して夢む。五丈夫有りて、韋廬に北面して無罪を称せり。
「韋廬」(いろ)がよくわかりません。「倚廬」と同音で葬儀の際に立てる仮屋のことだという注があって、そうすると後の話によくつながるのですが、「韋」は「囲」の仮借にもなるので、「囲われた小さな建物」ぐらいの意味に解しておきます。
まだ夜になったばかりの時刻であったが、景公は(野営のテントの中で)座ったまま少しうとうとしていて、夢を見た。―――五人の男性が、囲いのあるテントの南側に座って、「われらには罪はありません」と大声で呼ばわっているのである。
「北面」すなわち南側に座って北の方を見ながら話しているとすると、その北側にいるテントの中のひとは「南面」していることになります。「南面」するのは主君、「北面」するのは臣下ですので、この人たちは主君に向かって無罪を主張している、ということになります。
この主君は誰であろうか。
景公は目を覚まして、賢者の晏嬰さまを呼ぶと、夢の内容を話し、
我其嘗殺不辜、誅無罪邪。
我、それかつて不辜を殺し、無罪を誅せしことありや。
「(この夢にはどんな意味があるとお思いですか。この地の主君はわたしですから)わたしがこれまでに、罪を犯してない者を殺したり、罪無き者を誅殺したことがあった、というお告げなのでしょうかなあ」
と訊ねました。
「いや・・・」
晏嬰さまが答えておっしゃるには、
昔者先君霊公畋、五丈夫罟而駭獣。故殺之、断其頭而葬之、命曰五丈夫之丘。此其地邪。
昔、先君霊公畋(かり)するに、五丈夫の罟(あみ)かけて獣を駭(おどろ)かすあり。故にこれを殺し、その頭を断ちてこれを葬り、命じて「五丈夫の丘」と曰う。これ、その地ならんや。
「むかしのことでございますが、(景公の)お父上の霊公さまが狩りをなさったとき、(それを知らずに)五人の男が網をかけてドウブツたちを捕らえようと仕掛けていた。(狩りのジャマになったので)公はこの五人を捕らえて殺し、首をちょんぎって地に埋め、その場所を「五人男の墓山」と名づけた、ということがございました。もしかしたら、ここがその墓山なのかも知れませんなあ」
「なんと」
公令人掘而求之、則五頭同穴而存焉。
公、ひとをして掘りてこれを求めしむるに、すなわち五頭同穴にして存せり。
そこで霊公が命じて、そのあたりを掘って墓を探させたところ―――出ました。五つのドクロが同じ穴から出てきたのです。
景公は
嘻。
「ああ」と感じ入った。
そして、
令更葬之。
これを更葬せしむ。
このドクロたちを改めて葬り、祀ったのである。
さてさて。
国人不知其夢也。
国人はその夢を知らず。
ひとびとは景公の夢のことなど知らない。
それを知らずに、景公が五つのドクロを厚く葬ったのを聞いて、
君憫白骨、而況於生者乎。
君、白骨を憫(あわ)れむ、生者においてをや。
「景公さまは、白骨をさえあのように大切にしてくださるのだ。生きている者はなおさらであろう」
と言いまして、それからは、
不遺余力矣、不釈余知矣。
余力を遺さず、余知を釈(す)てざりき。
力を余らさず、知恵をムダにせず、景公のために働いた。
のでございます。
まことに、
立派なひとが善いことをしようとすると、うまくいく。
ということの証でございましょう。
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「晏氏春秋」巻三より。君子が善いことをすればうまくいくに違いありません。その間に、わたしどもは五つのドクロのように埋もれていくのでございましょうけれども。