同じやる気無しドウブツでも、ナマケモノやコアラは木の上にいるので果実類を採ることができる。モグは果実類を採ることができずに冬を迎えねばならないので、とりあえず焦っているようである。もうすぐ諦めるでしょうけど。
さすがに少し寒くなってきた。もう野外では寝ない方がよさそうである。
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まずは恋歌らしきものからはじめます。ただし、このうたは古来、美人を思うことにかこつけて、主君を偲び、その取り巻きどもを謗る歌、と解されております。どちらで読んでもいいのですが、一応恋歌だ、として読んでいきます。
思美人兮、 美人を思いては、
擥涕而竚眙。 涕を擥(と)りて竚眙(ちょち)す。
媒絶路阻兮、 媒絶し、路阻まれ、
言不可結而詒。言も結びて詒(おく)るべからず。
すてきなひとを思ってはヨ―(←「兮」を囃子言葉として訳した)
あふれてくる涙を手でぬぐい、立ちすくんでじっと彼方を見つめるのさ。
仲を取り持ってくれる人は絶えてしまったし、路は隔てられてヨ―
手紙を何かに結び付けて贈りたいのだが、それもできないのだ。
「擥」(ラン)は「攬」と同じく、「取る」。ここでは涙をぬぐうような動作でしょう。「竚」(ちょ)は「佇」と同じで立ちすくむ、「眙」(ち)は「視る」。
「言を結ぶ」という言い方については、@「コトバで約束する」の意である、A「コトバが結ぼおれてうまく出てこない」の意である、Bいにしえはコトバを何かに結び付けて贈ったので、文字どおり「コトバを結んで」の意である、の三説がありますが、ここでは一番気の利いてそうなBを採用します。これは南宋の朱子、朱晦庵先生の説なんです。
蹇蹇之煩冤兮、 蹇蹇として煩冤し、
陷滞而不発。 陷滞して発せず。
申旦以舒中情兮、旦に申(いた)りて以て中情を舒するも、
志沈菀而莫達。 志は沈菀(しんうつ)して達するなし。
もごもごと言い澱んで煩悶してヨー、
心の中に落ち込んで滞ったまま外に出すことができないのさ。
朝になるまで心の中の思いをずるずると述べ立てたのだがヨー、
言いたいことは沈み積もってあのひとには届かないのだ。
願寄言於浮雲兮、言を浮雲に寄せんことを願うも、
遇豊隆而不将。 豊隆(ほうりゅう)に遇いて、将(したが)われず。
因帰鳥而致辞兮、帰鳥に因りて辞を致さんとするも、
羌迅高而難当。 羌(ああ)、迅く高くして当たり難し。
それではあの浮雲に頼んで言伝てしてもらおうかと思ったのだがヨー、
雲の精霊のやつめが言うことを聞いてくれないのさ。
帰りゆく鳥にコトバを託して届けてもらおうと思ったのだがヨー、
ああ、鳥は高く、速く飛んで行って、おれのコトバなど届かないのだ。
「豊隆」は古代、楚の地方の雲の精霊、羌(きょう)は蛮族の一種ですが、ここでは「きゃあ」というような音を現す感嘆符。感情の高まりを示しているんです。
このあともぶうぶうとこんなことばかり言い続けているので、めんどくさいので中略します。
やがて詩人は散歩に出て、水のほとりをふらふらする。
その途上、
擥大薄之芳芷兮、 大薄の芳芷(ほうし)を擥(と)り、
搴長洲之宿莽。 長洲の宿莽(しゅくもう)を搴(ぬ)かん。
惜吾不及古之人兮、吾の古えの人に及ばざるを惜しむ、
吾誰与玩此芳草。 吾、誰とともにかこの芳草を玩(もてあ)そばん。
広い草むらから香りのよいヨモギを採ってヨー、
遠く続く水際で去年の根から生えた草を抜き取るのさ。
残念なことに、おれは古代の聖人や賢者に会えなかったヨー、
だからおれには、この香りのいい草ぐさをともに賞賛しあう友がいないのだ。
「擥」(らん)はさっきもありました。「取る」。「搴」(けん)の方も「取る」ですが、こちらはもう少し強くて、「抜き取る」こと。「芷」(し)は「香草」、ヨモギの類。「薄」はくさむら、「宿莽」は前年から根を残していて、今年もまた生えてきた草。おそらく自分の理想を換えない信念の比喩です。
まあいいや。しようがないんで、
解萹薄与雑菜兮、萹薄(へんはく)と雑菜を解きて、
備以爲交佩。 備えて以て交佩(こうはい)と為す。
佩繽紛以繚転兮、佩は繽紛(ひんぷん)として以て繚転し、
遂萎絶而離異。 遂に萎絶して、離異したり。
これまでつけていたひらひらの草と雑草を外してヨー、
かわりに(さっき採った)ヨモギと二年越しの草を腰の両側から帯び物にしたのさ。
腰の帯び物はひらひらと、まつわりつきねじれついてヨー、
やがてしぼんで切れて、離れていってしまったのだ。
やっとここまで来ました。ここまで長かったなあ。
実は、今日はこの章が引きたくて、ずっとここまで引用してきていたんです。
この「佩」につきまして、後漢の王逸は「楚辞章句」に注していう、
行清潔者佩芳、徳明光者佩玉、能解結者佩觽、能決疑者佩玦。
清潔を行う者は芳を佩(お)び、明光を徳とする者は玉を佩び、よく結ぼれるを解く者は觽(けい)を佩び、よく疑いを決する者は玦(けつ)を佩ぶ。
言動を清らかにし汚れたことをしない、と決意している者は、香り草を腰に帯びるものだ。(この人もそれに当たる。)
明るい光のような徳を身に着けようと決意している者は、穏やかな光を放つ玉を腰に帯びるものだ。
混乱した事案を解きほぐす能力を持っている者は、觽(けい)、すなわち象牙で出来た鐺(コジリ。先がとがっていて、これを結び目に差し込んで解く道具)を腰に帯びるものだ。
多くのひとの悩んでいることを決断する能力を持っている者は、玦(けつ)、すなわち、円盤の一か所を欠いた玉を帯びているものだ。
と。
なるほどなあ。
明の焦gによれば、
故孔子無所不佩也。
故に孔子は佩びざるところ無し。
このため、孔子はあらゆるものを腰に帯びていたのである。(「焦氏筆乗」続集巻五より)
のだそうです。
歩くとガラン、ガラン、とか、バサバサと鳴ってうるさかったんではないでしょうかね、わははは。
・・・ということで、本日のお話はこれでおしまい。
なお、上の人は、
吾且儃佪以娯憂兮、吾しばらく儃佪(せんかい)して以て憂いを娯し、
観南人之変態。 南人の変態を観ん。
おれはしばらくまだふらふらとさまよい歩いて、憂いを晴らしてヨー、
南の方に住むあのひとが、態度を改めるのを待つとしよう。
と、まだまださまよっております。「変態」はここでは「態を変ず」と読みますので念のため。
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「楚辞」九章より「思美人」(伝・屈原)。屈原と思われるこの人は、もう少しぶらぶらして、最後は「それではいにしえの人のように王さまを諫めに行って、聞かれなかったらジサツしようかなー」と終わります。月曜日に問題があるので、おいらも日曜中に終わっておくのがいいのカモ・・・。