晴れた青空の雲よ。あの雲のどこかに復讐者が潜んでいて、時が満ちるとカミナリになって落ちてくるらしいんです。
今日は宵の口に、雷雨のすごいのが来た。雹が降ったり停電したところも多いという。
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清の時代のことです。
某甲善用銅銀。
某甲、銅銀を用うるを善くす。
なにがしAという者、「銅銀」を使って儲けるのが得意であった。
「銅銀」は、銅に銀を塗って、銅貨を銀貨に見せかける詐欺のことです。
このAの七歳になる子どもが、大晦日の晩にびっくりして泣きじゃくりながらその母(Aの妻)に告げた、
有青面獠牙人自天降下、以小旗挿爺頭上而去。
青面獠牙の人、天より降下し、小旗を以て爺の頭上に挿して去る有り。
「青い顔で猟犬のような牙の生えたひとが、お空から降りてきて、おとうさまの頭の上に小さな旗を立てて、どこかに行ってちまいまちたー。うわーん、コワいよー」
母親は驚いたものの、夫の頭にそんなものは見えないので、何とも言い出せないうちに、翌年の春先、
雷震甲死於衢。
雷震して甲、衢に死す。
カミナリが落ちて、Aは町のど真ん中で死んでしまった。
猶手執用剰銅銀。
なお手に剰れる銅銀を執用せり。
死んだときも、その手には、まだ使っていない「銅銀」が握られていた、ということである。
そのあとわかったことなのですが、歳末に、
郊外某農以雞遣子入市、售爲卒歳之需、甲以銅銀向買。
郊外の某農、雞を以て子を遣りて市に入らしめ、售(う)りて卒歳の需を為さんとするに、甲、銅銀を以て買わんとせり。
町の郊外のなんとかというお百姓が、その子にニワトリを町の市場に持って行かせ、それを売って年末の各種支払いに当てようとしたのだが、このとき、Aがこのニワトリを「銅銀」で買おうとしたのである。
百姓の子は銀貨を見て目がくらんでしまい、言われるままに「銅銀」を受け取ってニワトリを売った。
孰知無可兌銭、帰被父責、投河自溺。
孰れか知らん、銭に兌(か)うべきこと無く、帰りて父に責められ、河に投じて自ら溺せり。
彼はそのとき気づかなかったが、この「銅銀」を普通の銭に引き換えることができるはずもなく、結局家に帰ると、おやじは「どうするのじゃ!」と激怒した。子はどうしようもなく、川に身を投げて入水自殺したのである。
つまり、
甲雖未殺農子、農子由甲而死。国憲不及加、天雷殛之耳。
甲いまだ農の子を殺さずといえども、農の子は甲によりて死せり。国憲の加うるに及ばざれば、天雷これを殛(ころ)すのみ。
確かにAが直接百姓の子を殺したわけではないが、百姓の子はAに死なされたようなものである。国の法が罰を及ぼせなかったので、天雷が死罪にした、というわけなのだ。
・・・以上は尤維熊というひとから聞いたことであるが、わたし自身もおやじたちから、何度も
雷殛者、陰司先有小旗挿其首。
雷の殛(ころ)さんとする者は、陰司まず小旗をその首に挿す有り。
カミナリが死刑にしようとする者は、霊界の役人が先にその者の頭に小さい旗を立てるものだ。
ということを聞いたことがある。
といいますか、ほとんど常識でさえあるであろう。
だからこそ、
曾有人晨洗、水影中見頭挿有旗。
かつて人の晨洗せんとして、水影中に頭に挿すの旗有るを見るもの有り。
あるとき、朝、顔を洗おうとしたひと、たらいの水に映っている自分の頭に、旗が立てられているのが目に入った。
「うひゃあ!」
そのひとは、
時欲薬死孤姪以図其産、駭悔棄薬、竟得獲免。
時に孤姪を薬死して以てその産を図らんと欲するに、駭き悔いて薬を棄て、ついに獲免を得たり。
ちょうどその日、父親を失った甥っ子に毒を飲ませて、甥っ子が相続している財産を横領しようとしていたところであった。旗を見て驚き、大いに後悔して、毒を棄ててしまったところ、落雷を免れることができた。
という事件も起こったわけである。
ところでこの事件を見ると、現実社会でも自首すると罪が軽くなるように、
天誅亦容悔艾。
天誅もまた悔いて艾(や)むるを容るるなり。
この「艾」(がい)は「止める」と訓じます。
天の刑罰も、やはり後悔して犯罪に着手しなかった場合は罪を宥すことがわかる。
まことに、
王法或倖漏網、陰譴捷於影響也。
王法はあるいは倖いに網を漏らすとも、陰譴は影響よりも捷(はや)し。
世俗の国の法律の網からはうまく逃れたとて、霊界の刑罰は、物体に影が、音にこだまが応じるよりも速く、あっという間にその結果をもたらすのである。
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清・朱海「妄妄録」巻六より。
旗を立てられているひとは雷雨の予報に気をつけてくだされよ。