ヒヨコは元気でいいのだが、こちらが暑さなどで弱っていると集まってきて、突ついたりしはじめるので危険である。
今日は40年ぶりで会うひとに会った。40年前というと猪木とアリが闘ったころである。会って楽しく話しているうちに、どうも一雨来ていたらしい。東京はおかげですごい蒸し暑いんです。このため持病の皮膚病がひどいことに・・・。
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むかし(紀元前六世紀ごろでしょうか)、函谷関の関令をしていた尹文先生というひとがいました。彼が関令をしているうちに、ちょうど老子が青の牛に白の車を牽かせて西の国に行こうとして、函谷関を通りかかった。このとき、尹文先生が頼んで書いてもらったのが「老子」という書物である―――という伝説があります。
この尹文先生のもとに老成子というひとがやってきて、弟子入りして、「幻」の術を学ぼうとした。
ところが、
三年不告。
三年告げず。
三年間、何にも教えてくれないのである。
そこで老成子は尹文先生のもとを辞去することにして、
請其過。
その過ちを請う。
(教えてもらえなかったのは)何がいけなかったのか教えてもらおうとした。
すると先生は老成子を別室に案内し、礼拝をしてから言った。
昔老耼徂西也、顧而告予曰、有生之気、有形之状、尽幻也。故随起随滅。知幻化之不異生死也、始可与学幻矣。
昔、老耼の西に徂(ゆ)かんとするや、顧みて予に告げて曰く、「有生の気、有形の状、ことごとく幻なり。故に随いて起こり随いて滅ぶ。幻化の生死に異ならざるを知るや、始めてともに幻を学ぶべきなり」と。
―――むかしむかし、老耼(ろうたん。老子の名前)さまが西に向かわれる時、わたくしの方を振り向いて言われたことがあります。すなわち、
「生あるものの持つ命、形あるものの持つ外見、これらはすべてマボロシである。故に、ひともモノも現れては消え、消えては現れるもの。なのじゃ。このマボロシの変化する姿がそのまま生きると死ぬという変化とパラレルである、ということを理解するようになったら、ともに幻の術を学ぶことができるであろうのう。なのじゃ」
と。
さてさて、そこでわし(尹文先生)が考えたには、
吾与爾亦幻也。奚須学哉。
吾と爾と、また幻なり、なにをか学ぶをもちいんや。
―――わしもお前(老成子)も、やはりマボロシなわけだから、マボロシ同士の間で、なにか学ぶ必要があるだろうか。
同じマボロシなんだから、そのことさえ自覚できれば、それ以上何も学ばなくてもいいのである。
「はあ、なーるほど・・・」
老成子帰、用尹文先生之言、深思三月。
老成子帰り、尹文先生の言を用いて、深思すること三月なり。
老成子は郷里に戻ると、尹文先生のおっしゃったことを毎日復唱し、深く考えること三か月に及んだ。
すると・・・
遂能存亡自在、幡校四時、冬起雷、夏造氷、飛者走、走者飛。
遂によく存亡自在にして、四時を幡校し、冬に雷を起こし、夏に氷を造り、飛ぶものは走らしめ、走るものは飛ばしむ。
やがて、ついに存在しているも不在も自分の思い通りになり、四季の順番を翻させ、冬に雷を鳴らせ、夏に氷を張らせるまでになった。空中を飛ぶものは陸上を走り、陸上を走るものは空中を飛ぶようにすることもできた。
しかしながら、術は使えるんですが、
終身不著其術、故世莫伝焉。
終身その術を著(あから)さまにぜず、故に世に伝わるなし。
生涯その術を人前で使わなかったので、その術はもう世に伝わっていないのである。
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「列子」第三より。人前で使わなかった、というのだから、本当にその術が使えたかどうかアヤシイのですが、本当にその術が使えたならば、季節の順番を換えることができるのはすばらしい。秋は寂しいから、すぐ冬でいいなあ。