すさまじい暑さに、日陰者が羨ましくなるほどである。
国内最高気温を熊谷で更新! しかし、この達成感で今年の夏も燃え尽き、明日からは秋になるのではないかと思われます。なにしろもう半分ぐらいはぶたに戻ってしまっていて、あちこちで「あ、ぶただ」「ぶたが歩いているぞ」「暑いのにイヤね」と指さされる始末。
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暑いですが、会社行ってないので家でゴロゴロしているだけだから、読書でもするか。
人生有書可読。
人生書有らば読むべきなり。
生きている間は、書物があったらそれを読むべきである。
有暇得読、有資能読、又涵養之。
暇有れば読むを得、資有ればよく読み、またこれを涵養せん。
時間のある人は読むのに差し支え無いし、おカネがある人は読むことができるだろう。そして、心をその世界にひたして豊かに養うこともできるであろう。
しかし読書がノルマになってしまっていると大変ですよ。若いころ「読書ノルマ」のせいで毎日追われるような生活になってしまったこともある。
如不識字人、是謂善読書者。享世間清福、未有過于此也。
字を識らざる人の如きは、これ善く書を読む者と謂わん。世間の清福を享くること、いまだ此れに過ぐるもの有らざるなり。
文字を知らない(のに人生の喜びを知っている)人は、すばらしい読書人というべきである。この世のよき幸福をこれ以上に享受しておられるひとはあるまい。
なんだそうです。
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「酔古堂剣掃」巻一より。こう言って為政者グループの読書人が、階級的には日蔭者である木こりとか漁師を見て
「やつらは文字を知らないから羨ましいのう、わははは」
「いひひひ」
「おほほほ」
とか笑っていたんだと思うと、ちょっと不愉快である。
ところで、読書は一人でもすることができるのでいいのですが、談話や講義を聞くのは字を知らなくても勉強になる一方、先生の都合に合わせないといけないからたいへんなんです。戦国時代の終わりごろのことですが、竹中半兵衛重治が
或る時、軍(いくさ)物語しけるに、子の左京いまだ幼かりしが、座を立ちければ、重治、
軍は国の大事なり。何方に行く。
「軍事問題は為政者の重要事項じゃぞ。その講義をしている途中に、どこに行こうとしているのだ!」
と問ふ。
左京は
厠にゆく。
「トイレに行きたいんでちゅ!」
と答えました。するとおやじの重治が言うに、
爰(ここ)に溺(ゆばり)をたるゝとも、軍物語の大事の席を立つ事やある。
「ここでしょんべんを垂れ流したとして、軍事に関する大切な講義を聴こうとしないとはどういうことじゃ!」
といかられける。
そうです。「常山紀談」巻六より。「ゆばり」の方で無かったらどうするつもりだ。