もはや現世での欲望を滅却し、はるか彼方へと旅立つぶた漁師。本当に竜宮城なんてあるのであろうか。とんかつ工場なのではないであろうか。
昨日はかなり体調不良でしたが、今日は咳を除けば体調は普通に不良な程度まで戻った。健康になろう、などという欲を持つと努力をしなくてはならなくなるので、これぐらいがちょうどいい。
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最近もうほんとに何の欲も無いのでございます。
天下有道、却走馬以糞、天下無道、戎馬生于郊。
天下に道有れば、走馬の却(ごと)きも以て糞(つちか)い、天下に道無ければ、戎馬、郊に生ず。
筋道だっている世の中なら、足の速い馬も田畑の耕作に使われる。筋道の無い世の中から、村々に生まれた馬はみな戦さに使われる。
天下に筋道が無くなってしまうのは何故であろうか。
罪莫大于可欲、禍莫大于不知足、咎莫朁于欲得。
罪は欲すること可(おお)きより大なるは莫く、禍は足るを知らざるより大なるは莫く、咎は得んと欲するより朁(しん)なるは莫し。
「朁」はリッシンべんを附けて「痛む」と訓じます。痛切であること。
欲望が多いことほど非難されるべきことはない。満足することを知らないことほど状況を悪くすることはない。何かを得ようとすることほど害悪のひどいものはない。
みんなが欲を持つから世の中は乱れるんです。
と、「老子」(第四十六章)に書いてあった。
欲があるといけないんですなあ。
しかし、よくよく考えてみると、わしもやはりまだメシを食ったり楽をしたりニヤニヤしたりはしたい、という欲があるぞ。
無欲者其言清、無累者其言達。口耳巽入、霊竅忽啓。故曰不爲俗情所染、方能説法度人。
欲無き者はその言や清、累無き者はその言や達。口耳巽入すれば、霊竅たちまち啓く。故に曰く、俗情の染むるとこと為らざれば、まさによく法を説き人を度せん。
欲の無い者は清廉なことを言い、係累の無い者は行きとどいたことを言う。口から出るコトバは謙遜し、耳にするコトバは聞き入れるなら、心の霊なる穴がぽこんとすぐ開くことであろう。
それでよく言うのである、「世俗のどろどろした感情に毒されていないひとならば、理法を説き、他人を救済することができるだろう」と。
と、これは明の呉従先の「小窗自紀」(第五十三則)に書いてありました。
毎日毎日こんなにタメになることばかり言っているのに、わしのコトバに耳を傾けるひとが稀なのは、まだまだ欲があるからなのであろう。
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そこで、さらに欲を無くすため明日から失踪して、修行することにしました。とりあえずは老子が青い牛に白い車を引かせて去って行ったという西の彼方の国に行ってみよう。やがては完全なる無欲者となって戻ってきたわしのコトバを、みんな「なるほど、そうでしたか」と素直に聞くようになることでしょうぞ。うっしっし。