平成30年7月12日(木)  目次へ  前回に戻る

何か怠惰なことがあったのであろうか、ニワトリに指導される竜。一部のヒヨコが竜に同調し始めており、心配される。

お昼過ぎまで、まるで「怠慢」に見えるぐらい、ぐたぐたしておりました。昨日に引き続き体調不良である。頭痛と咳がひどいんでとうとう早退してきましたが、家で冷房つけてごろごろしているうちに下の話を読んでしまったので、報告します。

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清の時代のことでございます。武昌城内には勺亭書院という学校があったのだそうです。

ある夏の暑い日に、書院には午後から学生が集まってきて、季節の差し入れであるスイカを食べながら勉強したり討論したりしていたんですが、

黒雲滃起、傾盆一陣、涼颸徐来、夕陽掛樹、各散去。

黒雲滃起(おうき)し盆を傾くること一陣、涼颸(し)徐むろに来たり、夕陽樹に掛かりて、おのおの散去せり。

黒雲がもくもくと湧き、やがて盆の水をひっくり返したような雨が降り、やがて涼しい風がゆっくり吹いて、晴れあがって夕日が木の枝に掛かるようになって、みんなそれぞれ家に帰って行った。

一人だけ残っていた学生がいました。

彼は残って勉強するでもなく、藤棚の下でひと眠りして、もうとっぷりと日が暮れてから、家に帰ることにした。

このとき、片手にスイカを持ち、もう一方の手に蝋燭を灯した燭台を持っていた。

ところが、

月地滑、不便行走、生妙想奇闢、将所吃空西瓜半円、宛如秋帽、戴頭上。

月く地滑り、行走に便ならず、妙想奇闢を生じ、吃空するところの西瓜半円を以て、あたかも秋帽の如く、頭上に戴く。

月も無く地面が濡れていて、非常に歩きづらかったので、

「そうだ、いいことを思いつきましたよ。うっしっし」

と変なことを思いついた。食べて空になったスイカの半分を手に持っていたので、これを帽子のように頭の上にかぶってみたのである。

そして、

以蝋燭火芊在当頂、既省手力、赤脚直奔。

蝋燭を以て火芊の当頂に在らしめ、既に手力を省き、赤脚にて直奔せり。

蝋燭をそのてっぺんのところに何本も挿して、火のくさむらのようにし、こうして両手を空けると、(衣の裾をつかんで、)はだしで(水たまりを避けもせずに)ばしゃばしゃとと真直ぐ走って家に向かったのであった。

―――さて。

ちょうどこの時間は宵の口でしたから、

月台納涼女子、大叫曰、来看怪。

月台に納涼の女子、大叫して曰く、「来たりて怪を看よ」と。

街中に月見用の見晴らし台があって、そこに昇って涼をとっていた少女が、「きゃー!」と大声で叫んだ。

「みんな来て! あすこにバケモノが!」

見晴し台にいたひとびとが集まって来て、少女の指さす方を見ますと、

「おお!」

果見一赤脚小鬼、緑頭上放紅光、一彗焔焔、往西北方去。

果たして赤脚の小鬼、緑頭の上に紅光を放ちて、一彗の焔焔たるがごとく、西北方に往き去るを見たり。

みな、裸足の小さな精霊が、緑の頭をして、その上から赤い光を放ち、ほうき星が輝くように、西北の方に向かって走り去っていくのを見たのであった。

「あ、あれは何だ!」

と大騒ぎをしている中に、勺亭書院の頑固で有名な老先生もいた。

先生は群衆に言いました。

勿驚怪。

驚怪するなかれ。

「驚いて騒いではならんぞ!」

「わいわい」

「驚き騒ぐのはやつらの思うつぼなのじゃ!」

「なるほど」

「そうなんですか」

「なるほどなあ」

「あれは一体何なんです?」

此火妖也。一名欝攸、過必有災。

これ火妖なり。一に「欝攸」(うつゆう)と名づく。過ぎれば必ず災あり。

「あ、あれは・・・火の精霊、物の本に「欝攸」という名前で出る妖怪じゃ。その現れるところには、必ず火災が起こるといわれる」

「なんと!」

「わーい、火災を起こすのか!」

爲之奈何。

これをいかんせん。

「どうすればよろしいのじゃ?」

先生は言った。

無他法、具疏虔祷、輸金禳醮、則猶可及止也。

他法無し、疏を具して虔祷し、金を輸して禳醮すれば、なお止むに及ぶべきなり。

「う、うむ・・・、他に方法は無い、神さまへの祈願文を書いて一生懸命お祈りし、お金を出し合ってお祓いの祀りごとをすれば、なんとか止めることができるかも知れぬ」

「なるほど」

「もちろん、みんなで火の用心が必要じゃぞ」

閲日、生過西北一帯、香案家家、道場処処。

閲日、生、西北一帯を過ぎるに、香案家家にあり、道場処処にあり。

数日後、くだんの学生が町の西北部を通り過ぎると、家ごとに門の外に机を出してお香を焚き、町のあちこちに精霊を祀る祠が作られていた。

のだそうである。祈祷文の代筆を頼まれて、書院の先生方はずいぶん懐が潤った、ということだ。

呉楚尚鬼、信然。

呉・楚の鬼を尚ぶこと、まことに然り。

江南地方では、精霊への信仰が盛んであること、まったくこのとおりなのである。

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清・破額山人「夜航船」巻七より。いったい何のためにこんな事件について記録されているのか、こちらはこんなに体調悪いのにふざけているんじゃないだろうな、と心配しましたが、民俗例の報告だったんです。ああ、古い習俗の記録が遺ってよかったなあ。

 

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