平成30年5月31日(木)  目次へ  前回に戻る

おおわれらがハニワの国よー。永遠の世界はここにありー。(ハーニ、ハーニ)

毎日うだうだうー。空虚に過ぎていくー。

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「列子」に曰く、

古者謂死人爲帰人、夫言死人爲帰人、則生人爲行人矣。

いにしえは死人を謂いて帰人と為す、それ死人を言いて帰人と為せば、生人は行人なり。

むかし、死んだひとのことを「帰った人」と言ったそうな。ああ、死んだひとのことを「帰った人」と言うならば、生きている人は「旅行く人」であろう。

そこで、おいらは歌います。むかし風に。

ハァー

生者爲過客、 生者は過客たり、

死者爲帰人。 死者は帰人たり。

天地一逆旅、 天地は一逆旅、

同悲万古塵。 同悲せん、万古の塵と。

 生きているひとは旅人で、

 死んだひとは帰りついた人。

 (今みんなが生きているところである)天と地の間は一軒の宿屋のようなもの、

 一緒に悲しもう、その中の永遠のゴミ(のようなおれたち)は。

月兎空搗薬、 月兎は空しく薬を搗き、

扶桑已成薪。 扶桑はすでに薪と成りぬ。

白骨寂無言、 白骨は寂として言無く、

青松豈知春。 青松はあに春を知らんや。

 月のウサギは何のために不死の薬を臼を搗いて作っているのか(永遠の生命など無いのに)、

 古代、東方にあったという巨大な世界樹「扶桑」でさえ、今は枯れて薪木にされてしまったのだ。

 白い骨はしーんとして、何も語ろうとはせず、

 青い松がその上に立っているが、二度と春は訪れない。

ハア、ハア、ハア。

前後更嘆息、 前後さらに嘆息、

浮栄何足珍。 浮栄は何ぞ珍とするに足らん。

 (永遠なるものなど無いのだ、と)何度も何度もため息をつく。

 この世の栄誉なんか、どうして珍重するに足りようか(全く興味はない)。

まったくである。

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すばらしい。唐・李白「擬古十二首・其九」「昔の詩みたいな十二首のうち、第九」)。久しぶりで漢詩を読んでみました。ああ、虚しいなあ。

 

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