これが「焼き魚」であってヤキトリやヤキトンで無ければよいのだが・・・
週末である。ほっとするより、来週が来ることを思って涙にじんでくる今日このごろだ。
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晋の元熙年間(419〜420.晋の最後の年号である)、桂陽郡に老翁あって、
常以釣爲業。
常に釣を以て業と為す。
以前から魚を釣って生計を立ててきた。
ある日の朝、
出釣遇大魚食餌、掣綸甚急、船人奄然倶没。
釣りに出でて大魚の餌を食うに遇い、綸(いと)掣すること甚だ急にして、船・人、奄然としてともに没す。
釣りに出かけて、巨大な魚がそのエサに食いついたらしく、糸が非常に激しく引っ張られ、「うひゃあ」と言っている間にたちまち船ごと水中に引きずり込まれてしまった。
・・・ようなのである。
というのも、老翁がいつまで経っても帰って来ないので、
家人尋翁于釣所、見老翁及魚並死、爲釣綸所纏。
家人翁を釣所に尋ぬるに、老翁及び魚の並びに死して、釣綸の纏わるところと為れるを見たり。
家族の者がいつも釣っているところまで探してに来て、老翁と魚が並んで死んでいるのを発見したからである。老翁と魚はともに釣り糸にまとわりつかれて死んでいた。
ところが、その魚の腹に
有丹字。
丹字有り。
どうやら赤い文字らしきものが浮かび出ていた。
その文字らしきものをたどってみると、次のように読めた。
我聞曾潭楽故縦擔潭来磔死弊老翁持釣数見欺好食赤鯉鱠今日得汝爲
魚の腹の字ですから、マジメに読んではいけないのかも知れませんが、がんばって読んでみます。
我曾聞潭楽、 我は曾て潭の楽を聞き、
故縦擔潭来。 故に縦いままに潭に擔来す。
磔死弊老翁、 磔死して老翁に弊(つか)れ、
持釣数見欺。 釣を持してしばしば欺かる。
好食赤鯉鱠。 好んで赤鯉の鱠を食らえり。
今日得汝爲。 今日、汝を得ると為す。
わたしはむかし、この淵は楽しいところだと聞いたので、
喜んで(人に担がれて?)この淵にやってきたのだ。
ところがこのじじいにまな板の上で殺された。
じじいの釣り糸に何度も何度も騙されたのだ。
じじいは赤い鯉の刺身を食うのが大好きだったが、
今日はとうとうおまえを捕まえたぞ。
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宋・劉義慶「幽明録」より。魚を釣ると危険であるということだ。自己責任になります。