どこか遠くへ行くでぶー!永遠に・・・
明日はもう日曜日か。明日のうちにどこかへ・・・、いやいや我が一族は既に俗世と関係無し。毎日が日曜日なれば明後日も明々後日も恐れるところではないのだ。
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春秋の時代、斉の賢者・晏嬰が楚の国に使者に出かけた。
これを聞いた楚王は、左右の者に言った、
晏嬰斉之習辞者也。今方来。吾欲辱之、何以也。
晏嬰は斉の辞に習う者なり。いままさに来たらんとす。吾、これを辱しめんと欲するに何を以てせんや。
「晏嬰は斉の弁論家だということだが、そいつが間もなく来るというのじゃ。わしは、そいつをやり込めてしまいたいと思うのじゃが、どうすればよかろうかなあ」
側近のAがニヤニヤと笑いまして、
「王さま、こうこう、こういたしましては如何でしょうか」
「なるほど、それはいい知恵じゃ。おぬしもワルよのう」
「くっくっく」
「わっはっは」
・・・やがて晏嬰がやってまいりました。
早速歓迎の酒宴が開かれた。
酒酣、吏二縛一人詣王。王曰縛爲曷者也。
酒酣わにして、吏二、一人を縛して王に詣づ。王曰く、「縛れるは曷(なに)を為す者ぞや」と。
宴たけなわのころ、二人の係官が、縛り上げたやつを一人連れて王の前にやってきた。
王はおっしゃった、
「その縛られているヤツは、いったい何をしでかしたのじゃ」
係官は言った、
斉人也。坐盗。
斉人なり。盗に坐せり。
「斉から来たやつです。強盗をはたらきおったのです」
「なんと!」
王さまはこれを聞いて、晏嬰の方をじろりと見て、おっしゃった、
斉人固善盗乎。
斉人、もとより盗を善くするか。
「斉のお方はみなさん強盗がお得意なのですかなあ」
すると、晏嬰は、座っていた座布団を外し、あらたまった表情でお答えした。
嬰聞之、橘生淮南、則爲橘、生淮北、則爲枳。葉徒相似、其実味不同。所以然者何、水土異也。
嬰これを聞く、「橘は淮南に生ずればすなわち橘と為るも、淮北に生ずればすなわち枳と為る」と。葉はいたずらに相似するもその実の味同じからず。然る所以のものは何ぞや、水土異なればなり。
わたくし晏嬰はこのようなことを聞いたことがございます。
「タチバナは淮水より南に植えられると、生長してタチバナになるのだが、淮水より北に植えられると、生長してカラタチになるのだ」
と。確かにタチバナとカラタチは葉だけはよく似ておりますが、その果実の味はまったく違っております。なぜそうなるのか。その地方の水質と土壌が違っているからでございましょう。
今民生長於斉、不盗。入楚則盗。得無楚之水土使民善盗邪。
今、民の斉に生長して盗まず。楚に入ればすなわち盗む。楚の水土の民をして盗を善くせしむる無きを得んや。
さて、今判明した事実は、斉に生まれ育った人民が、斉では強盗をしていないのに、楚にやってきて強盗をした、というのです。ということは、楚の水質と土壌は人民に強盗を得意にさせてしまうのだ、と言わざるを得ますまい」
「わっはっはっはっは」
王さまは大笑いしておっしゃった、
聖人非所与嬉也。
聖人はともに嬉するところに非ざるなり。
「御立派な方と、おふざけなどしてはいけませんでしたなあ」
と。
あははは。まったく、なるほどでございますなあ。
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「晏子春秋」巻三より。全くです。立派な方におふざけしてはいけません。このあと側近Aの処遇がどうなったかも心配ですが、その記録はない。敗者は毎日が日曜日になっていくのであろう。
なお、
「淮南に生ずればすなわち橘と為るも、淮北に生ずればすなわち枳と為る」
「南橘北枳」
というコトバは、もともとは同類でも境遇や環境が違うと全く別のものになってしまう、という譬えによく使われるので、覚えておかないといけません。ホントにそんなことになるのか、科学的には確認してませんが、しかし、百回言えば確認しなくても真実になる、という世の中ですから確認の必要は無い。