文書の中身も理解できない、といわれているぐらいのがちょうどいいんではなかろうか。おえら方から指示が来ても、書き直しもできないだろうし。
朝晩も暑くなってまいりました。そろそろ夜中に、こんな↓のが出はじめるかも。
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明の時代のことですが、晋江の留震臣は浙江・常熟の知事をしていたとき、
極有吏才。
極めて吏才有り。
たいへん有能な役人である。
といわれ、
落指君子、民之父母。
指を落とすの君子、民の父母たり。
「指を落とさせる立派なお方、人民の父母というべきお役人」
と謳われたそうである。(「指を落とす」とは何であろうか?)
しかしながら任地で譏る者があり、えらい方々の耳にも入って任期前に解職された。
その後しばらく家にいたということだが、ある年の夏の初めに福建に職を得て南行することになり、呉の町まで来て、
舟中得疾。
舟中に疾を得たり。
赴任のために船を使っていたのだが、乗船中に病気になってしまった。
そこで呉中の町に借家を借りて養生することになり、わたし(←肝冷斎にあらず)の妻の親戚である徐家の家作を貸すことになった。徐家の御隠居さまは情け深いひとだから、有能な役人が困っていると聞いて手を差し伸べたのである。
留震臣がその家に運び込まれた日、
居人隣近者夜乗涼、方就枕、咸聞街中若数百人語声、相催而過。
居人の隣近者、夜涼に乗じ、まさに就枕せんとして、みな街中に数百人の語声の相催して過ぎるがごときを聞けり。
徐家の家作の近所に住むひとたちが、夕涼みを終えてちょうど眠りに就こうという時間だったということなのだが、ひとびとの耳に、数百人の人の声らしきものが聞こえてきた。彼らはどうやら互いに声を掛け合いながらどこかに行こうとしているらしかった。
(いったい何が起ころうとしているのか)
みな不安になって、
急起視、月尚未午。自門隙覘之。
急ぎ起きて視るに、月なおいまだ午ならず。門の隙よりこれを覘う。
寝床から起き出して様子を見た。このとき、まだ月が南中する時刻にはなっていなかったそうで、彼らは(門を開けると襲われるかも知れないので)門の隙間からそっと外を覗いてみた。
人間らしいものが集団を為して、今日病人の運び込まれた家に向かって行くらしい。
則皆獰q鬼物、怒目戟髯、或著鎖械、或披襤褸、怪状奇形、莫可名状。
すなわち皆、獰q(どうれい)なる鬼物にして、怒目戟髯、あるいは鎖械を著け、あるいは襤褸を披(き)、怪状奇形の名状すべきなし。
見ればどいつもこいつも、獰猛で猛々しい幽霊みたいな姿で、目を怒らせ、頬髯を(怒りで)ぴんと伸ばし、あるものは鎖や手枷を着け、あるものはボロボロの囚人服を着て、その異様さ奇妙さは、どうにも表現のしようがないほどだ。
どうやら生きたニンゲンでは無さそうだった。
そして、彼らは一様に、手足に指が無かった!
彼らは
頃之、候徐氏門開、遂擁而入、其黒如烟。
しばらく徐氏の門の開くを候(うかが)い、遂に擁して入るに、その黒きこと烟の如し。
留知事が借りた徐氏の家作の門の前に集まった。しばらくするうちに門を開くことに成功したらしく、お互い抱き合うように門から入って行ったが、その姿はまるで黒い煙が入り込んでいくように見えた。
そうである。
及暁、報明府卒。
暁に及びて、「明府卒せり」と報ぜり。
夜明け方には「府知事どのが死んだ」という声が伝わってきた。
その後のウワサでは、留が常熟県令であったころ、
法尚厳峻、嘗枉徴財課。
法は厳峻を尚び、つねに枉げて財課を徴せり。
刑罰については峻厳に適用し、また権限を利用して人民の財産から、不法に多大な税を徴収していた。
そうやってたいへんな成績を挙げていたのである。
少しでも納税額が足りなかった者はすぐに獄に入れられ、
斃杖下者十而九矣。
杖下に斃る者十にして九なり。
十人のうち九人まで(つまりほとんどの囚人は)取調べと称して杖で打って殺してしまった。
当時の刑法の規定では、死罪にするためには都まで伺いを立てなければならなかったが、取調べ中に死んでしまった場合は何の責任にも問われなかったのである。
又拷掠之惨、至手足指堕。
また拷掠の惨なる、手足の指を堕とすに至れり。
そして、その拷問の激しさは、取調べ中に殺されて家に戻ってきた死体がたいてい手足の指を斬り落とされていたことでも量り知られた。
それゆえ、常熟で「指を落とすの君子」と謳われていた、というわけである。
徐家の御隠居はそんな「君子」に家を貸してしまったというので、ずいぶん落ち込んでいたそうだ。
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「獪園」第七より。不動産が事故物件になってしまいました。亡霊たちの群れより、有能なお役人の方が一段と恐ろしいわけです。無能と言われるぐらいのやつの方がホントはいいのカモ。