食べて太って、食べ過ぎて胃拡張でまた食べ、運動しないから太ってしまいさらに運動するのが億劫になる。絶望的である。
わーい、やっぱり日曜日の夜が来てしまいました。絶望的である。
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絶望的な話をします。
有鮎者、産于南海。
鮎なるもの有り、南海に産す。
「鮎」(せん)という魚がいます。南シナ海沿岸で産出します。
「鮎」は我が国では「アユ」に当てますが、普通は「なまず」のことです。ここでも、もしかしたら違う魚かも知れないのですが、「なまず」であるとして読み進めます。
このナマズは、
毎暴尾沙際以紿鼠。
つねに尾びれを沙際に暴(さら)して以て鼠を紿(あざ)むく。
いつも、尾を砂浜の波打ち際にさらしている。そうして、ネズミをだますのだ。
「ちゅうちゅう」
とネズミは寄ってまいりまして、
見之、謂且失水、舐而将食之。被巻入水。
これを見、「まさに失水せんとす」と謂いて、舐めてこれを食らわんとす。巻かれて水に入れらる。
この尾びれを見まして、
「これは水から出てしまって困っている魚でちゅうよ」
と言いまして、がじがじと齧って食べようとする。そのとき、ナマズはそのネズミを尾びれで巻き取り、「うっしっし」そのまま水中に引きずり込むのである。
「わーい、助けてくだちゃい、ちゅうちゅう」
と言いながら、引き込まれていき、食べられるのです。
また、
有烏賊者、腹中有墨、吐之以自衛。
烏賊(うぞく)なるもの有り、腹中に墨有りて、これを吐きて以て自衛す。
イカというやつがいる。腹の中に墨を貯めていて、敵が現れるとこれを吐き出して目くらましをして自衛するのである。
こいつは、
嘗浮水上、烏見以爲死矣。往啄之、被巻入水。
つねに水上に浮かび、烏見て以て死すると為せり。往きてこれを啄むに、巻かれて入水す。
いつも水上にぷかぷかと浮いているのである。カラスが空からこれを見て、
「死んでいるらしいでカアー」
と認識して、降りてきて啄もうとした・・・ところを、足で捕まえて水の中に引きずりこんでしまうのだ。
ああ、なんという悪いやつらでしょうか。
二魚皆性黠、為鼠与烏之賊。然鼠与烏、以高而為下者所食。亦可以爲貪而下求者之戒。
二魚みな性黠(わるがし)こく、鼠と烏の賊なり。然るに鼠と烏とは、高きを以て下の者の食らうところと為る。また以て貪りて下に求むる者の戒めと為すべし。
ナマズとイカはかように悪賢い水産物であり、ネズミとカラスからしたら「賊」というべきものである。しかす少し考え方を変えてみると、この場合のネズミとカラスは、高いところから騙されて降りてきて、低いところにいる者に食われてしまうのである。また、このことを以て、貪欲でしもじもから捲き上げようとしているやつらの戒めとなるであろう。
勉強になります。貪欲は身を滅ぼすので、みなさん気をつけてくださいね。(言ってあげてもわからないと思いますが。)
ところで、
或曰、烏賊魚相伝烏為化、烏所化而還食烏、故曰烏賊。
あるひとの曰く、烏賊魚は相伝うるに烏の化を為すものなり、烏の化するところにして還って烏を食らう、故に「烏賊」と曰うと。
あるひとの説では、イカ魚はカラスが変化したものだ、という伝説があり、もとカラスだったのに変化して反ってカラスを食べるので、「カラスの中の賊」と呼ばれるようになった、という。
これは絶望的である。裏切りやがったやつにやられてしまう、というのだ。FAで出てったやつに打たれる、みたいな絶望感である。
烏不賊烏、化為魚乃以賊烏。魚楽而烏苦矣。
烏は烏を賊せず、化けて魚と為りてすなわち以て烏を賊するなり。魚は楽しくして烏は苦しむなり。
カラスがカラスに害をなすのでなく、変化して魚になってから、カラスに害をなすというわけである。魚になったら楽しいが、カラスの方は苦しむ一方なのだ。
はやく魚にならないといけませんね。
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清・屈大均「広東新語」巻二十二より。イカはカラスを引きずり込むので「烏の賊」というのだ、というのは、かなり昔から有名だったようで、六世紀の六朝・陳の沈懐遠「南越記」に
烏賊魚常自浮水上、烏見以爲死、便啄之。乃巻烏。故謂烏賊魚。
烏賊魚は常に自ら水上に浮かび、烏見て以て死せりと為し、すなわちこれを啄む。すなわち烏を巻く。故に烏賊魚と謂えり。
イカはいつも自らの意志で水上にぷかぷかと浮いている。カラスは上空からこれを見て、「死んでいるのでカア」と思って降りてきて啄もうとする。すると(イカは)カラスを巻き取るのである。このため「カラスに害をなす魚」と呼ばれるのである。
と記載されています。しかし、カラスがイカになるのは新しい学説である。さすがに清代になると科学が進歩したのだなあ。
ちなみにこちらもかなり絶望的、でした。