モグ的世界の有名人といえばナマケモノ先生である。たいへんやる気も能力も無く、尊敬されている。
土曜日なんで何かめでたい話でもしておきますよ。明日からはまた景気悪い話ばっかりし始めると思うんで。
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―――最近(←もちろん現代日本のことではありません。明代のお話です)有名だった人といえば、何と言っても
有赤肚子。
赤肚子(せきとし)有り。
「腹だしおじさん」ではないでしょうか。
彼は、
不知何許人、正徳末、忽至密雲、就人家屋簷下居。
何れの人なるかを知らず、正徳の末、たちまち密雲に至りて人家の屋簷の下に就きて居れり。
どこの出身のひとかわからないが、正徳年間(1506〜21)の末ごろ、突然、北京・密雲の町にやってきて、人家の軒先に住み着いたのである。
「赤肚子」(腹出しおじさん)と言われるゆえんは、
冬月雖大風雪、身無寸糸、惟以氈方尺余、蔽其前後。
冬月、大風雪といえども身に寸糸無く、ただ氈の方尺余を以てその前後を蔽うのみ。
冬季にどんなに寒風吹き雪降るときであっても、何も身に着けていないのである。わずかに30センチ四方ぐらいの毛織物を腰につけて、大事なところを覆っているだけなのだ。
これはなかなか目立ちます。しかし道で見かけてもなかなか声をかけづらい感じです。でも食事を供するひとはいたみたいで、
或一食能兼数人、或数日不食。
あるいは一食に数人を兼ね、あるいは数日食らわず。
時には一食で数人分を食う。別の時には数日間何も食わない。
両手指常拳曲不舒、人問之不答。
両手指常に拳曲して舒(の)ばさず、人これを問えども答えず。
両手の指はいつも曲げてこぶしに握っている。ひとがそのわけを訊いても答えることは無かった。
何か大事なモノをそこに持っていたのだろうと思われます。
ある日のこと、
有道士乗驢過之、赤肚遽起、随入一野廟中。
道士の驢に乗じてこれを過(よ)ぎり有るに、赤肚にわかに起き、随いて一野廟中に入る。
一人の道士がロバに乗ってやってきて何やら声をかけると、「腹出し」は急いで起き上がって、道士のあとについて、原野にあるお堂の中に入って行った。
(どういう関係であろうか)
と興味を持ったひとが覗いてみますと、
相対悲泣、道士曰、我以汝為死矣、乃尚在耶。
相対して悲泣し、道士曰く、「我なんじを以て死せりと為すに、すなわちなお在り」と。
二人で相対してさめざめと泣いていた。道士の方が腹出しおやじに向かって言うには、
「わしはおまえがもう死んだと思っていたのじゃ。それなのにまだ生きておったとはなあ」
と。
しかしそれ以上の関係はまったくわかりませんでした。
二人は
講論通夕。
講論すること通夕なり。
一晩中そのお堂で何やら話し合っていた。
そして、翌朝になると道士はまたロバに乗って立ち去って行った。
という。
―――第二位は、偏鬍子(へんこし)「片ひげおじさん」でしょうか。
片ひげおじさんは、
姓許、善相術。
姓許、相術を善くす。
姓は許といい、人相を見るのが得意であった。
もうだいぶん歳をとってから、
遇異人、令之相許。
異人に遇い、これに相許せしむ。
不思議なひとに会った。そのひとは、「わしの人相を見てみなされ」と言った。
そこでその不思議なひとをじっと見ていたが、やがてぽんと手を打って、
子神清、気清、骨清、神仙相也。
子は神清なり、気清なり、骨清なり、神仙相ならん。
「あなたは、精神が清明、霊気が清明、骨格が清明である。おそらく仙人であろう」
すると、
「ひっひっひっひ」
異人笑拂其須。
異人笑いてその須を拂う。
不思議な人は笑い、そして彼のひげを撫でた。
凡経掌握処、明日皆、因此遂名。
およそ掌握を経るところ、明日みな黒く、これに因りて遂に名づけらる。
その手の触れたところは、次の日になると(もう年を取って白くなっていたのに)すべて黒ぐろとしていた。このため「片ひげおやじ」と呼ばれるようになったのである。
このひとは、
後入終南山求道、今人多在斉魯運河中見之。
後、終南山に入りて道を求め、今、人多く斉魯の運河中に在りてこれを見る。
その後自分も終南山に入って道士となった。現在でも、多くのひとが山東・淮北あたりの運河の船の上で彼を見かけることがあるようである。
―――このほか、王野極というひとも有名であった。
彼は憲宗(成化帝。在位1464〜87)のころ、いろんな不思議な術を見せて太玄真人の称号を賜った人物であるが、今上(萬暦帝。在位1572〜1620)の初めごろにまた召し出された(成化年間より百年経っている!)。ところが
召至京、不両月死。
召して京に至るに、両月ならずして死す。
召し出されて都にやってきたら、二月も経たずに死んでしまった。
ずっと生きて来たのに、すぐ死んでしまったのは不思議なことである。
其死亦甚異。
その死また甚だ異なり。
その死に方がまたたいへん不思議な死に方であった。
しかし、それは今でもたいていの人は覚えていることであろうから、わたしがここに記す必要もあるまい。
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なんだそうです。明・劉忭等「続耳譚」巻六より。
すばらしい。このようなすばらしい人たちの話を聞けたみなさんは、めでたいことである。そのうちいいことあるかも知れませんよ。