平成30年3月31日(土)  目次へ  前回に戻る

とりあえず今のところやる気とかない。来月になったら最低限ぐらい出るといいなあ。

土曜日でしたので、サクラとか見て平和に過ごした。

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清の後半のことです。屠育仁というひとがいた。屠育仁はもともとわしの実家と共同で小作料の取り立てをする仲間であったが、

年三十余、生子一。極聡俊、鍾愛之、所需無不曲順其意。素嬴多疾、破産療治、家為之貧。

年三十余にして子一を生ず。極めて聡俊にしてこれを鍾愛し、需むるところ曲げてその意に順わざる無し。もと嬴にして疾多く、療治に破産して家これがために貧なり。

三十何歳になってはじめて男の子が一人生まれた。この子はたいへん賢いのでとにかくかわいがり、子どもの欲しがるものがあると無理にもその要求に従ってやるのであった。しかし、この子はからだが弱くて病気がちで、治療にお金がかかって破産し、屠の家は貧しくなってしまった。

やがて、

年十四、病不起。

年十四、病起たず。

十四歳のころ、いよいよ病気が重くなった。

危篤状態のある日、子どもは病床のまま、突然、かっと目を見開いて、

「育仁、育仁」

と、

呼屠名。

屠の名を呼ぶ。

おやじの屠の名前を呼んだ。

子どもが親の実名を呼ぶことは、たいへん非礼なことです。

「どうした?」

屠が覗き込むと、子どもが言い出したことには、

我非若子、我乃江陰王二。来問汝索五百千、今已収清、尚剰十五千八百文。

我はなんじの子にあらず、我はすなわち江陰の王二なり。汝に来問し五百千を索むるに、今すでに収清せるも、なお十五千八百文を剰す。

「おれはな、おまえの子どもなんかじゃないんだよ。おれは、江陰の王二だ。覚えているか?忘れたなんて言わさないぜ。おれがここに来たのは、銭五十万文を返してもらおうと思ったからだ。今、お前にだいたい返させることができた。あと一万五千八百文だけだな」

王二の名前を聞いて、いったい何を思い出したのか、屠はさすがに蒼ざめた。

「ひひひ」

息子は笑って、言った。

可将十二千為我市佳木、余三千做新衣殮我。

十二千を将(もち)いて我がために佳木を市(か)い、余の三千にて我を殮(おさ)むる新衣を做(つく)るべし。

「一万二千文を使っておれを容れる棺桶を作るためのいい木を買ってもらうことにしよう。それからあと三千文でおれの亡骸を包む新しい服を作ってもらおうか」

「あ、あと八百文はどうするのだ?」

「ひひひ」

市鏹可也。

鏹を市(か)わば可なり。

「鏹」(きょう)は銭を刺し(紐などを穴に通して棒状にすること)てまとめたもののことをいいますが、ここでは燃やしてあの世に届ける紙銭の束のことでしょう。

「八百文分は紙銭を買ってあの世に送ってもらえればいいぜ」

それから、子どもは母親の方に向かって言った。

娘恩未報、願矢来生。

娘恩いまだ報いず、願わくば来生に矢(ちか)わん。

「おかあさんにはこんなにしてもらったのに、何の孝行も出来ませんでした。次に生まれてきたときに、必ずお返しします。ありがとう・・・」

言訖而逝。

言い訖(おわ)りて逝けり。

そう言い終わると、死んでしまった。

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清・湯用中「翼駉稗編」巻一より。この本いろいろオモシロいです。それにしても「父は永遠に悲壮である」と教えてくれたのは誰でしたっけ。萩原朔太郎でいいんでしたっけのおおあある。

 

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