平成30年3月21日(水)  目次へ  前回に戻る

お彼岸です。お墓参りに行くといいのだが。

今日は寒くてツラかった。明日もまたツラい。明日はシゴトのツラさである。

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今日はお彼岸なので、難しい漢字や禅僧はよして、わかりやすく心に響くのを読みましょう。

〇珍しいこつた珍しいこつた。凡夫が仏になるちゆうこたあ。こがな珍しいことが他にありませうかなあ。有難いぞなあ。南無阿弥陀仏々々々々々々。

(珍しいことだ、珍しいことだ、凡夫が仏になるということだ。こんな珍しいことが他にありましょうかなあ。有難いことだなあ。なむあみだぶつなみあみだぶつ)

〇おらより悪い者は無いと知らして貰らやえゝだけなあ。助ける助けんは、おらの仕事じやないだけ。

(自分より悪い者はいない、と教えていただければそれだけで十分である。救済する、救済しない、は(仏の方の問題であって)自分の方でやることではないからな。)

〇安心は出来いでも、お助けは違やせんけんのう。それで安心しなはれ。こつちや忘れても親さんは忘れんだけのう。

(己の心を安んずることは出来ないでいても、救済は間違いなく来るからなあ。それで心を安んじることだ。こちらは忘れても、親さん(阿弥陀仏)の方はわしらを忘れることはないのだからなあ)

なんか、現代語訳しているのがばからしくなってきました。もとのコトバの方がより強く心を打つけん、ようわかる。

〇この心に相談すりや、まあちよつと云うぞいな、いつ相談してみてもいけんけえのう。親さんに相談すりや、助ける助けるそのまんま助ける。いつ相談しても親さんは間違ひないけんのう。

〇上つて来いちはれりや、中々参れ(ぬ)の。落ちて来いつておつしやるだけえ、この爺は落ちるより行き場のない者だけえ、落ちるばつかりだに、大丈夫な親がついておられるで、間違いないだいの。

〇この源左は一番(いっち)悪いで、仕合せだがやあ。

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幕末〜昭和(1842〜1930)の「妙好人・因幡の源左衛門」のコトバより。「他力本願」というのはこういうことなのです。自分が一番下で悪い。ところが何の努力もしなくても救われるんだから、感謝するしかありません。ありがたい、ありがたい。今日も弟一家と食べ放題に行って食べ過ぎた。今もお風呂のお湯出しっぱなしにしてあふれさせてしまった。お湯とめに行って何やら踏んづけた。本当にダメな自分である。でも大丈夫なんです。

 

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