平成30年3月20日(火)  目次へ  前回に戻る

もうくにに帰ったかと思っていた雪だるまであるが、まだいたらしく、明日はまた肥大化するそうである。

今日は寒かった。明日はもっと寒いそうである。シゴトもよくないことがありました。これからどうなるのであろうか。

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清の時代のことですが、先だってウルムチの守備隊に赴任した上海出身の参将・張全得

「よりによってウルムチですか・・・」

と嘆息して出かけて行ったが、その後案外元気なようで、このたび手紙を送ってきた。

其城外有秀野亭、樹木蓊欝、堪夏日納涼。

その城外に秀野亭有りて、樹木蓊欝(おううつ)とし、夏日の納涼に堪えたり。

―――ウルムチの郊外には、秀野亭という保養所があって、そのあたり樹木鬱蒼として、夏の日の納涼によい場所です。

気に入ったので、秋になってから、また出かけてみました。

一日散歩於此、忽見三五人。音語錯雑、坐地悲泣。

一日、ここに散歩するに、忽ち三五人を見る。音語錯雑し、地に坐して悲泣せり。

ある日、そこをふらふらと散策していると、どこから来ていたのか、三〜五人の人を見かけました。いろいろ会話しているのですが、なかなか聞き取れないが、とにかく地面に座って、みんな悲しみ泣いている。

「ああ」

不禁憮然添羇客之思、欲通問訊。

憮然として羇客の思いを添うるを禁ぜず、問訊を通ぜんとす。

わたしも落ち込んで、旅びとの持つ感懐を抱いてしまい、彼らの境遇を聞いてみたいと思いました。

そこで彼らの方に近づいたのですが―――――

即飄忽不見。

即ち飄として忽ちに見えず。

その瞬間、あっという間に彼らの姿は消えてしまったのです。

「あのひちたちは何ものだったのだろう」

茫然としていると、この地に長いひとが

―――ああ、あなたもご覧になりましたか。

と教えてくれたことには、

蓋窮荒異域、往往白昼見鬼。

けだし、窮荒の異域、往々として白昼に鬼を見るなり。

―――このあたりのような荒れ果てたさいはての辺境では、真昼から亡き者たちのたましいが、現れるものなのです。

「そうなんですか」

・・・そのときは驚いたものですが、

後習以爲常、亦不為異。

後習いて以て常と為し、また異と為さざるなり。

その後もそんなことが何度もあったものですから、最近ではもう何も不思議な気がしません。

このごろは、この地にいる人の多く、おそらくは何人かに一人は、実は幽霊なのではないかと思えてきました。

わたしたちがいつかこの世の命脈を終えたときには、そのたましいは東西南北のどこかの最果てにたどりつくのではないでしょうか。そしてこの世の未練を浄化して、遠く天上や地下に赴くのではないのか―――江南の地はもう春の盛りでございましょう。この地はまだ荒涼たる季節、あまりにあなたから遠いので、そんなことばかり思われてなりません。

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清・朱海「妄妄録」巻十二より。著者の朱海が張全得さんから直接もらった手紙を記録したようです。

しかし春になってもこちらも寒いです。お彼岸なのに、明日はもっと寒くなるらしい。そうしたら白昼にも現れるかも知れませんが、よくあることだからあまり気にしてはいけません。

ところで、岡本全勝さんの新しい本が出たみたいです。わーい、勉強になるぞー。

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