ウグイスにも頭を下げる丁寧さでも、今度は「そんな弱い心ではダメだ。もっと堂々としていなければ」と叱りはじめるのがお偉方だ。何をやってもダメなのだなあ。・・・と、ためいきが出ますでモグ。
なんとか金曜日。たいへんな宿題を残して今週終わった。来週のこと考えると絶望的である。ああー、ううー、とため息ばかり。
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明の時代のひと、浙江・華亭の維簡先生・宋坤は
所蔵多奇琛異宝。
蔵するところ、奇琛・異宝多し。
「琛」(ちん)は宝石、宝物。
珍しい秘宝、異様なる宝物を多数所蔵しておったそうなんです。
その孫の宋懋澄がわしの知り合いで、彼の言うところでは、
爲児時嘗見有鬼工毬者。
児時、かつて「鬼工毬」(きこうきゅう)なるものの有るを見たり。
「子どものころ、祖父の家で、一度「精霊の作りし毬」というものを見たことがあるんです」
と。
それは、
形類一大胡桃、面文質理、宛然相似。
形は一大胡桃に類し、面文と質理、宛然として相似たり。
「見た目はでかいクルミの実のようなものなんです。表面の文様とか実際の肌理とかまったくそっくり。
ところが、
掲開其中、重畳如殻相包、宮室人物器玩服飾戯具、一切人間有形之物、繊悉具備。位置巧密、宛転自然。
その中を掲開するに、重畳として殻の相包むが如く、宮室・人物・器玩・服飾・戯具など、一切の人間(じんかん)の有形の物、繊悉具備す。位置巧密にして、宛転として自然なり。
それを持ち上げて開いてみると、中から何重にも殻のようなものに包まれて、建物や部屋、人物、道具や置物、衣服とアクセサリー、玩具の類など人間世界にあるありとあらゆる形ある物が、ことごとく、かつたいへん小さく細かく具わっているのです。その置かれ場所もたいへん巧みでぎっしりと入っており、まるっと自然なありようでした。
祖父は
験諸史伝、皆所未有。
諸史伝を験するも、みないまだ有らざるところなり。
いろんな歴史書を当たってみたようですが、どこにもこのようなモノについて書かれてはいませんでした。
それもそのはずで、
詳其命名、則知西域鬼工之所作也。
その命名を詳らかにするに、すなわち西域の鬼工の作るところなるを知れり。
その名前「鬼工毬」を分析してみれば、つまりは西方の精霊の職人が作ったものであることがわかります。
遠い西域のモノが、チャイナの歴史書に出てくるはずがないではありませんか。わははは」
というような貴重なモノであったのですが、
先生没後、不知所在。
先生没して後、所在を知らず。
宋維簡先生がお亡くなりになってから、いったいどこに行ってしまったのか所在情報が無い。
誰かその行方を知っていたら教えてほしいものである。
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明・銭希言「獪園」第十六より。象牙に「ああ・・・」とため息の出るような細かい彫刻をして、人物、獣、風景、器物を表す象牙細工の技術によるものであろうかと思ったのですが、クルミのような外見はしてないからなあ。だいたい象牙細工は人間の労力が安いチャイナの生産物なので、西域の精霊たちが作ったんではありませんから、別物であろう。
(↓先年西伊豆で実見してきた象牙細工。写真にはありませんが、何重にもなった球形のモノもあった)