平成30年3月15日(木)  目次へ  前回に戻る

梅の枝にウグイス餅の色をした鳥がいたら、春である。ウグイス餅が食いたくなってくるであろう。

やっと木曜日。まだ明日もあるのか。革命でも起こって毎日ごろごろして暮らせるようにしてほしいなー。

最近また騒がしいひとたちが騒いでいるので、今日は政治について勉強してみましょう。

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清の終わりごろのことですが、金奇中というひとがいて、西洋の政治について若いモノたちに教えていた。

「専制政治を打破して共和政治にする必要がある」

と教えるのだが、「専制」とか「共和」といっても若いモノたちは「はあ・・・。それは何ですか」となかなか理解しないので、わかりやすく話さねばならなかった。

―――山東・青州に本籍のある士人の陳少琴は蘇州に暮らしていたのじゃ。

少琴は

有妻曰孫蘭儀、杭人、世家女也。

妻有り、孫蘭儀と曰い、杭人にして世家の女なり。

孫蘭儀という正妻があった。杭州の代々の富豪の家の娘であった。

しっかりと纏足されたなかなかの美人であったが、この妻を娶った翌年、少琴は用務があって外出した際、たまたま蘇州の滸野関というところで、農家が耕作しているのを見た。

蘇農之女習田事、以天足故、雑男子力作、労苦惟均。然此実有男女平権、男女平等之精義寓於其中。

蘇農之女は田事に習い、天足の故を以て男子に雑わりて力作して、労苦ただ均し。然るにこれ実に男女平権、男女平等の精義、その中に寓する有り。

蘇州地方の農家の女たちは耕作の作業に習熟しており、生まれながらの足をしているので男性とともに耕作に従事して、労働に苦しむことは同じである。しかるに、(だからこそ女性にも等しく発言権があり、)実にここにこそ男女の権利が等しく、男女平等であるということの正確な意義があるわけだ。

「天足」というのは、生まれながらのままの足、すなわち「纏足していないでかい足」のことです。

このとき、王家の巧珍という女がいて、男たちに交じって働いていた。もちろん纏足していない。

少琴は

見巧珍力耕而美也、欲納之、使女傭将意。巧珍之父阿瑞諾之、遂娶焉。

巧珍の力耕して美なるを見、これを納れんと欲し、女傭をして意を将かしむ。巧珍の父・阿瑞これを諾い、遂に娶れり。

この巧珍の耕作労働している姿の美しいのを見て、これと結ばれたいと思い、雇われ女に頼んで意志を伝えた(もちろん本人でなくその家長に、である)。巧珍の父の王阿瑞はその申し出を承諾し、ついに婚姻したのである。

正妻と妾が出来たわけですが、

嫡庶相処無違言、巧珍賢、蘭儀亦不妬也。

嫡庶相処して違言無く、巧珍は賢にして蘭儀はまた妬まず。

正妻と庶妻と、たがいにしかるべき生活態度で言い争いすることもなく、巧珍は賢明に対応したし、蘭儀も嫉妬する女ではなかったのである。

ああ、よかった。チャイナの家庭は残虐の宝庫ですから、そういう展開を心配しましたが、うまくいきました。

ところで、

蘭儀幼従宦、居其父之官廨十九年。

蘭儀は幼より宦に従い、その父の官廨に居ること十九年なり。

蘭儀は幼いころから役人であった父と暮らしていたから、父の官舎に十九になるまで暮らしていた。

おやじは孫佩卿といって任子(親の功績によって役人になること)によって官位を得たひとであったから、代々の役人であった。

このため孫家は

官気重、蘭儀習之久、故其馭下也、常寡恩而多威。

官気重く、蘭儀これを習うこと久しく、故にその下を馭するや、常に恩寡なくして威多し。

たいへん役人くさい家であった。蘭儀はその中で長く暮らして来たので、下女たちの扱いについて、いつも優しさは少なく、威圧的に出ることが多かったのである。

これに対し、

一方、巧珍固出自平民家者、則反是。

一方、巧珍もと平民家より出づる者なれば、すなわちこれに反す。

一方の巧珍はもともと平民の家の出身であるので、その反対であった。

此可以譬政体矣。蘭儀専制、巧珍共和也。

これ以て政体に譬うべきなり。蘭儀専制、巧珍共和なり。

このことを以て政治体制の譬えとすることができるであろう。すなわち、蘭儀の方が専制政治で、巧珍の方が共和政治なのだ。

「なるほど」

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「清稗類鈔」譏諷類より。そうだったのか。何やらあちこちに問題があるような気がしますが、まあだいたいこんなもんか。やがて来る革命を荷う若いモノたちにもよく理解してもらえた・・・に違いありません。

ところでこの数日、PCがウィンドウズ10とかいうのに勝手に感染してしまい、更新してもアップできなくなって困っております。今日はどうかな。

 

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