最上階までたどりついたぶた天使の目に飛び込んできたのは、すさまじい食欲のぶたキングであった。ぶたキングは食べるのに忙しくて掃除洗濯片づけなどは全くしませんから、ぶた塔は荒れ果てていたのである。
うわーん、ほんとに日曜日の夜になってしまいました。週末が終わる。
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唐の丹霞の天然禅師は俗人時代、科挙試験を受けようとしていたのだが、長安に試験を受けにいったときに江西の名僧・馬祖道一のウワサを聴き、出家入門しようとして江西を訪れた。しかし馬祖から追い返され、南嶽の石頭希遷のところに三年勤めてようやく出家したのであった。
出家すると、また馬祖道一のところにやってきました。
未参礼便入僧堂、騎却聖僧項而坐。
いまだ参礼せざるにすなわち僧堂に入り、聖僧の項に騎却して坐せり。
まだ参上の礼も済んでいないのにずかずかと僧堂に上がり込み、そこに安置せられている高僧の像の首に肩車して座り込んだ。
「なんじゃこいつは」
衆皆愕然、報馬大師、大師入堂見、即笑云、我子天然。
衆みな愕然として馬大師に報ずるに、大師入堂して見、即ち笑いて云う、「我が子は天然なり」。
僧侶らはみな驚いて馬祖大師に報告した。
大師は方丈を出て僧堂に入り、状況を見るやすぐに大笑いして、言った。
「このひとは天然=生まれたままの状態だぞ」
師跳下、作礼云、謝師安名。
師、跳ね下り、礼を作して云う、師の名を安んずるに謝す。
天然禅師は飛び降りて、拝礼して言った。
「禅師さまはわしの名前を確定してくださった。ありがたいことにございます」
と。
因名天然。
因りて天然と名づく。
こうして天然という名前になったのです。
いろいろ有名な話のある禅師ですが、行脚してとあるお寺に宿泊したときのこと、
値天寒、師取殿中木仏焼火向。
天寒に値(あ)いて、師、殿中の木仏を取りて火に向かいて焼く。
たいへん寒い時節に、禅師は本殿に祀られていた木の仏像を引き下ろしてきて、火の中にくべてしまった。
この寺の院主がこれを見て、
呵云、何得焼我木仏。
呵して云う、「何ぞ得て我が木仏を焼くか」。
すっ飛んできて怒鳴った。「わしの寺の仏像を焼くとは、どどどどういうことだ!」
禅師は杖で灰をかきならしながら言った、
吾焼取舎利。
吾焼きて舎利を取らんとす。
「わしは、ホトケを焼いて、お骨を採ろうとしたんじゃがなあ・・・見つかりませんなあ」
院主曰く、
木仏何有舎利。
木仏に何ぞ舎利有らんや。
「木の仏像になんでお骨があるんじゃ!」
禅師言う、
既無舎利、更請両尊再取焼之。
すでに舎利無ければ、さらに両尊を請い、再び取りてこれを焼かん。
「お骨が取れないのなら、脇侍の普賢・文殊の両菩薩像もいただいてきて、そちらも焼いてみようかのう」
「な、なんじゃとーーー!」
と、
院主自後眉髪堕落。
院主、自後、眉髪堕落せり。
その瞬間、院主は眉と髪の毛が抜けてしまった。
そして突然いいひとみたいになりまして、
「・・・なるほど、そうでございます。おかげさまで今悟ることができました。お骨も取れない作り物を拝んでもいたしかたありませんなあ」
と、禅師に深く感謝したのだそうでございます。
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「聯灯会要」巻十九より。ほかにもいろいろエピソードがあるので、また今度・・・と思いましたが、週末もう終わり。次の週末までわたしが俗世にいるとも思えませんので、次回はもう無いカモ・・・。(さしあたりこの話を覚えておられますかな? これは、なんと沖縄に行く途中、我が人生最良の日々に書かれたのだなあ・・・)