本日は春一番で暴風雨。春の来たのを寿いで、カチャーシーでお祝いさぁー。(ちなみに左から、おもろちゃん、キジムナー、シーサー、みみちりぼーじ)
なんとか一日が終わりました。明日またいろいろある・・・しかし明日が終わってもまだ今週二日しか経ってないのである。まいった。もうダメだ。
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「はあ」
とため息をつきながら会社帰りに無能先生の庵に寄った。
「いろいろ行き詰まっているので、なんか教えてくださいよ」
と言ったところ、無能先生がおっしゃるには、
―――もうお前はダメじゃよ。何も考えずに「おれはダメだ」と思っていれば、何とかなるかも知れん・・・が、おそらくダメじゃろうなあ。しかし何も考えないでいたらうまくいかなくても「うへへ」とニヤニヤしていればいいのだからいいのではないだろうか。
夫衡鏡物也、成於人者也。
それ、衡と鏡は物なり、人に成るものなり。
あの秤(はかり)と鏡を見てみるがよい。どちらも人間が作ったものじゃ。
ところが、
人自成之、而反求軽重於衡、妍醜於鏡者、何也。
人自らこれを成すに、反って軽重を衡に、妍醜を鏡に求むるものは何ぞや。
人間は自分でこれらを作ったのに、人間の方から、軽いか重いかをはかりに尋ね、美しいか醜いかを鏡に訊くのは、いったいどうしてであろうか。
「さてどうしてでしょうか・・・」
答えはほかでもない、
衡無心而平、鏡無心而明也。
衡は無心にして平かに、鏡は無心にして明るければなり。
はかりは自分の判断をまじえずに重い方に傾き、鏡は自分の判断をまじえずに映るものを反射するからである。
「自分の判断をまじえずに」というところが大事なんじゃ。
ああ。
夫民之有心者、研之以無、澄之以虚、涵希夷、不知所如。
それ、民の心有る者は、これを研ぐに無を以てし、これを澄ますに虚を以てして、希夷に涵すれば如(ゆ)くところを知らず。
自分の判断力をもつやつを、「無」で研磨し、「虚」で洗いあげ、見えないもの・聞こえないものに漬して沁みとおらせれば、いったいどこまで行ってしまうであろうか。
かれらは、
其偕天壌以無疆、而天下莫能与之争矣。
それ天壌とともに以て無疆、而して天下よくこれと争うなきなり。
天と地と一緒で、果てしない広がりを持ち、この世にそいつと競うものなどなくなるであろう。
ということなんで、「無」と「虚」が大事なんじゃ。
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唐・無名氏「無能子」巻上第七より。「虚無」です。「虚無」でいくしかないのだ。
なお、「希夷」は「老子」(第十四章)に出てくるコトバ。
視之不見名曰夷、聴之不聞名曰希、搏之不得名曰微。
これを視れども見えず、名づけて夷といい、これを聴けども聞こえざる、名づけて希といい、これを搏(と)れども得られざる、名づけて微という。
じっと見つめていても見えないもの、これを「見えない」といい、じっと耳を澄ましても聞こえないもの、これを「聞こえない」といい、集中してつかまえようとしてもつかまえられないもの、これを「とれない」という。
に基づきます。
ちょっと長くなりますが、続きも読んでみましょう。
此三者不可致詰、故混而為一。其上不X、其下不昧、縄縄兮不可名。復帰於無物。
この三者は致詰(ちきつ)すべからず。故に混じて一と為る。その上にしてはX(あきら)かならず、その下にしては昧(くら)からず、縄縄(じょうじょう)として名づくべからざるなり。無物に復帰せり。
この「見えない」「聞こえない」「取れない」の三つは突き詰めることができない。それ故にまじわって一つになる。上の方にあってもはっきりしないし、下の方にあってもぼんやりしているわけでもなく、縄のようにどこまでもつながっていて、名前をつけることもできない。もはや物でないモノ、万物の根元へと戻ってしまっているのだ。
うひゃひゃ、なんだかわけがわからなくなってきました。が、まだ続きます。
是謂無状之状、無象之象、是謂恍惚。迎之不見其首、随之不見其後。
これを無状の状、無象の象と謂い、これを恍惚と謂う。これを迎うれどもその首を見ず、これに随うともその後を見ず。
これを「状態の無い状態」「すがたの無いすがた」といい、あるいは「ぼんやり」という。これを前に回って見てみようとしても先頭部分は見えないし、後ろに回って見てみようとしても最後尾は見えない。
無始にして無限なのだ。「見えない」「聞こえない」「取れない」モノは、はるか昔から存在し、はるか未来にまで存在し続けるのである。
執古之道、以御今之有、能知古始、是謂道紀。
いにしえの道を執りて、以て今の有るを御すれば、よく古始を知り、これを道紀と謂うなり。
古代から続くやり方で、現代の状況をコントロールすれば、はるかな昔からのことがわかるであろう。このことを「道の大綱」というのである。
うひゃひゃ。
「老子」は難しいですね。あんまりよくわからないが、縄縄として続くものがあるらしいぞ。今週は無能先生の教えを受けるなどして、なんとか泥縄のように生き延びたいものだが・・・。