まだ水曜日である。あまりにも理不尽と、茫然とするぶたとウサギであった。
ずいぶん出勤した気がしたが、昨日からまだ一日しか進んでいなかった。道理も何もあったものではない。
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広東・崖州では、以前、
午後鬼入市廛、以紙銭貿物。
午後、鬼、市廛に入り、紙銭を以て物を貿(か)う。
お昼を過ぎると、亡霊たちが市中の店に入ってきて、紙で出来た銭を使ってモノを買っていくことが多かった。
紙で出来ている銭だが、そのときは何故か本物に見えるのである。客が買ったモノを持って去っていくと、いつの間にか紙銭に変わってしまっているのだ。
これでは儲けにならん。
そこで、店の方では、お客からおカネを受け取ると、その場で
皆試銭水中、験浮沈以別人鬼。
みな銭を水中に試みて、浮沈を験して以て人鬼を別つ。
どこでも銭を水がめの中に入れてみる。沈んだ場合は相手はニンゲン、浮かんだ場合は紙銭でありその客は亡霊である、というふうに区別するようにした。
それによってだいぶん亡霊がモノを買っていくことは無くなったそうだが、それでも銭が水に浮き、
「あ、お客さん、あんた亡霊だね!」
と気づくことがある。しかし、気づいたときには亡霊はもう欲しいモノを抱えて店の外に出ていて、
「待ちなよ、お客さん!」
と追いかけようとすると、店の外で「ふ」と消えてしまう―――ということが往々にしてあったのだ。
ある時、旅の風水師が現れて、町の形を観察し、
宜杜北門。
北門を杜(と)ざすべし。
「町の北の門を閉じてしまうとよろしかろう」
と提案した。
そこで、
有司如其言、鬼怪遂滅。
有司その言の如くするに、鬼怪ついに滅す。
役人がその言葉のとおりにしたところ、亡霊は出現しなくなった。
それ以来、
自瓊至崖、所歴州県、皆杜北門不開。
瓊より崖に至る、歴るところの州県、みな北門を杜ざして開かず。
瓊州から崖州まで(十の町があるそうなのですが)旅すると、通ったところの町は、どこもかしこも北門を閉じて開かなくしているのである。
しかしおかしいですよね。
鬼無形、随在可以出入。有司者尽人道以杜之可耳、何必門。
鬼に形無ければ、随(まま)に以て出入すべき在り。有司者人道を尽(ことごと)くして以てこれを杜ざさば可なるのみ、何ぞ必ず門ならん。
亡霊には形体が無いのであるから、どこでも好き放題に出入りできるはずである。お役人が、人間の道をすべて閉鎖したら亡霊もやってこれなくできるかも知れませんが、門だけ、ではどうしようもないであろう。
ここでいう「人間の道」とは、物理的な通り道ではなく、人間の守るべき道理のことである。
有道之國、其鬼不霊。
道有るの国は、その鬼霊ならざるなり。
国に道理があれば、亡霊の活躍する場所など無いはずであるからである。
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清・屈大均「広東新語」巻二十八より。われわれゲンダイ人は、現世とあの世(幽冥界)の境界ははっきりしていて、それを乗り越えてくる人はいない、ように思っていますが、むかしはそうではなかったようなのです。ゲンダイよりも更に道理が無かったのだろう。いずれにしろこんな道理の通らない世の中だ、明日からはいよいよ出勤しないでぶぞ。