平成30年2月8日(木)  目次へ  前回に戻る

動かざることぶたのごとし。戦国ドウブツ最強クラスといわれるぶた軍団。ニンゲンでぶた以下のはいないと思いますが・・・。

毎日眠くてしようがない。やる気もない。やれない。どうも誰かに催眠術でもかけられているのではなかろうか・・・。

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えー。

催眠術者、能令人集注意識於一点、使成睡眠或喪心病狂之態也。初視為妖術、至十九世紀法国医師某用之治病人、世始知重。

催眠術なるものはよく人をして一点に意識を集中せしめ、睡眠あるいは喪心・病狂の態を成さしむ。初め妖術と視為さるるも、十九世紀に至りて法国医師某これを用いて病人を治し、世始めて重きを知れり。

↑日本の明治漢語を輸入した漢文なので、ゲンダイの我々でも理解できる術語がたくさんありますね。

催眠術というのは、人に意識を一点に集中させて、睡眠させたり、あるいは心神喪失状態や狂気の状態にならせる術である。以前は魔術の一種とみなされていたが、十九世紀に至って、フランス国の医師なにがしがこれを用いて病人を治療したことから、世の中はやっとその重要性に気づいたのである。

フランス国の医師なにがし、というのは、動物磁気学説(メスメリズム)を提唱したオーストラリア人医師フランツ・アントン・メスメル(1734〜1815)のことかなー、と思われます。フランスアカデミーに所属していたらしい。

さて。

光緒庚子年(1900)、義和団事変が起こった。清朝政府はこれへの対応を誤り、

至使連軍来華、劫盟城下、大辱奇恥、莫此為甚。

連軍をして来華せしめ、城下に劫盟するに至り、大辱奇恥、これより甚だしきと為すなし。

日欧米の連合軍を我が中華に来させ、北京で降伏の盟約を結ばされるまでになってしまい、あまりにも巨大で突飛で、他にあり得ないような国辱を受けてしまったわけである。

国人至是宜若有所覚悟、発憤為雄矣。

国人ここに至りてはよろしく覚悟し、発憤するところ有るがごときを雄と為すべし。

我が国の人民は事ここまで来たら、覚醒し、怒ることこそ雄々しいことだというべきであろう。

ところが、なんと。

朝野上下之人、乃猶昏睡不醒、或且冥行狂走、流連忘反、臥於積薪之上、処於漏舟之中、幾無一人能瞿然警醒、幡然改図者。

朝野上下のひと、すなわちなお昏睡して醒めず、あるいはまさに冥行狂走し、流連して反るを忘れ、積薪の上に臥し、漏舟の中に処りて、ほとんど一人もよく瞿然(くぜん)として警醒し、幡然として改図する者無し。

朝廷にいるひとも在野のひとも、上層のひとも下層のひとも、依然として昏睡したまま覚醒しないか、あるいは、行き当たりばったりに狂ったように走り回り、どこかに行ってしまって帰ってくるのを忘れ、火をつけられたら燃えてしまう積み上げた薪木の上のような不安定なところに寝起きしたり、水が漏れて沈んでいく舟の中のような危険な場所に安座していたりするばかりである。状況を恐れ、警戒して覚醒したり、思想をひっくり返して改めようとする者は、ほとんどいないのだ。

あるひとがこのことを憂いて、

是豈皆被施催眠術者所利用乎。

これ、あに皆催眠術なるものを施して利用さるるところならんか。

「我がチャイナのひとびとはみんな、催眠術をかけられて、誰かに操られているのではなかろうか」

と嘆いたのは全くそのとおりであった。

ところがまたあるひとはこれに反論したのである。

曰く、

不然。既無意識、嘗何集注之有。冥頑一物、直木石耳、且鹿豕之不若也。

然らず。既に意識無く、かつて何ぞ集注することこれ有らん。冥頑の一物、直に木石のみ、まさに鹿豕にこれ若かざるなり。

「そうではない。もともと意識が無いのだ。どうして一点に集中させ(て催眠術をかけ)ることができようか。彼らは方向性も無い愚か者で、木や石そのものなのだ。シカやブタにさえかなわないやつらなのだ」

と。これもまた当時の真実であった。

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「清稗類抄」譏諷篇より。ブタにもかなわないニンゲンがいたんですなあ。わしは催眠術にかけられているだけなので、そいつらに比べればワンランク上のようである。

 

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