天気がいいのでダイエットする雪だるまだが、来週にはまた寒波が来て、雪だるま式に太ることになるであろう。何もしないのがいいのである。
週末になりました。ああ。ほっとするなあ。さて、この週末は何をしようかなあ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「史記」巻三十「平準書」によりますと、漢の武帝の時代、一度は漢に従った南越(今の広州地方)が、叛乱を起こしたことがございましたが、この時、斉の相であった卜式というひとが皇帝に書をたてまつって曰く、
臣聞、主憂臣辱。南越反、臣願父子与斉習船者、往死之。
臣聞く、主憂うるは臣辱しめらるるなり、と。南越反す、臣願わくば父子、斉の習船者とともに往きてこれに死なんことを。
やつがれはこのように聞いております。「君主に心配事があるときは、臣下は屈辱を与えられているのである」と。
いま、南越のやつらが叛乱を起こしやがりました。やつがれは我が子ともども、斉の地方の操船に馴れた者たちを連れて、南越の地に向かい、そこで国のために死にたい、と願っておりまする。
武帝これを読んで大いに感動いたしました。上書などでの耳ざわりのいいコトバはそれだけで皇帝が快くなるのですから、たいへんな忠義ですからね(←「上書などでの」を「マスメディアや評論家による」、「皇帝」を「主権者たるみなさん」、「忠義」を「サービス」と読み替えてみれば、みなさんにも首肯しうるでしょう)。
そこで天下に詔を下した。
曰く、
卜式はこれまで、自ら耕作や牧畜をしても自分の利益とすることなく、自給した余りは地方政府に寄付して地方官の事務費に宛てて来た、と聞く。
今、天下不幸有急、而式奮願父子死之。雖未戦、可謂義形於内。
今、天下不幸にして急有り、而して式、奮いて父子これに死なんことを願う。いまだ戦わずといえども、義、内に形(あら)わると謂いつべし。
現在、天下には不幸なことに大問題が起こっている。そんなとき、卜式は父子ともどもこの問題たい対処して死んでもいい、と言ってくれたのである。まだ戦いに参加していなくても、正義の心を国内に明らかにしたもの、というべきであろう。
と。
そして、卜式に関内侯の爵位を与え、黄金六十斤と田十頃を賜うた上で、このことを天下に広く布告した。
卜式に続いて国家のために死のうという者を募ったのである。
ところが、
天下莫応。
天下応ずる莫し。
天下にこれに応える者が、一人もおらなんだのでございます。
特に、
列侯以百数、皆莫求従軍。
列侯百数を以て、みな従軍を求むるなし。
並びいる諸侯は百数人もいたのだが、誰一人出陣したい、という者が無かった。
「なんということじゃ!」
そこで、
至酎少府省金、而列侯坐酎金、失侯者百余人。
酎に至りて、少府、金を省み、列侯の酎金に坐して侯を失う者百余人なり。
「酎」が来たとき、宦官が黄金をチェックするようにした。諸侯の中で、「酎金」の罪に罹ってその地位を失った者が、百何人も出た。
当時侯爵が105人ぐらいいたらしいのですが、このほぼすべてが爵位を失ったのだそうです。積弊を除去したのだ。スバラシイ。
さて、この「酎」とか「酎金」とはなんなのでしょうか。「史記」本文には特に記述がありませんから、司馬遷ら漢代のひとにとっては当たり前のことだったのでしょう。
明・焦gの「焦氏日乗」を閲するに、
按「漢儀」、諸侯王歳以戸口酎黄金於漢廟、皇帝臨受献金。金不如斤両、色悪、王削県、侯免国。
「漢儀」を按ずるに、諸侯王、戸口を以て漢廟に酎黄金を歳し、皇帝献金を臨受す。金の斤両に如かざる、色悪しき、王は剣を削り、侯は国を免ず。
「漢代の儀式書」をひっくり返してみたところ、諸侯や王は、毎年、支配する人民の戸数や人口に応じて、漢の祖先を祀る廟に「酎黄金」を献上せねばならず、皇帝はその場に自ら来て、黄金を受け取る決まりであった。この黄金の分量が規定に満たなかったり、(純度が低くて)色が悪いときには、王は領地から一県を削除され、諸侯は領地を返上させられる決まりであった。
と書いてありました。
わーい、そうか「酎黄金」が不足したり色が悪いと「酎金」の罪に陥るんだ。
「酎金」といいますのは、
因八月嘗酎会諸侯廟中、出金助祭、謂之酎金。
八月、酎を嘗むるに因りて諸侯を廟中に会し、金を出だして祭りを助けしめ、これを「酎金」と謂う。
毎年八月に、新たにできた「酎」を飲むために諸侯を廟堂に集めるのであるが、この際、諸侯たちに黄金を出させて、それによって廟堂での先祖祭りを助けさせることになっていた。この拠出金が「酎金」と呼ばれたのである。
「酎」は当時、
正月旦作酒、八月成、三重醸醇酒也。味厚、故以薦宗廟。
正月旦に酒を作り、八月に成る、三重に醸せる醇酒なり。味厚く、故に以て宗廟に薦む。
正月元旦の朝に仕込みを開始し、八月に完成するお酒で、三回醸す善いお酒であった。味が濃いので、ご先祖祭り用に使われたのである。
以上、
以史漢注皆未明、特詳疏之。
史・漢の注みないまだ明らかならざるを以て、特に詳らかにこれを疏するなり。
「史記」や「漢書」の記述、さらにその注釈を読んでもちっともよくわからないので、特別に詳しく説明しておきました。
んだそうです。
焦g先生、ありがとうございまーす。
さて、多くの諸侯が失脚してしまい、時の丞相・趙周は金の純度を調べずにそのまま受領しようとしたことを咎められて、死罪にまでなってしまいました。
「史記」によりますと、その後、趙周の代わりに大抜擢されたのが卜式であった。
卜式は諸侯の領土が廃止されたのを機に、いくつかの改革を打ち出しました。しかし、
見郡国多不便県官作塩鉄、鉄器苦悪、賈貴、或彊令民売買之。而船有算、商者少、物貴。
郡国の多く県官の塩鉄を作るを便とせず、鉄器苦悪にして賈貴く、あるいは民をしてこれを彊(し)いて売買せしむるを見る。しかして船に算有るは、商者少なく、物貴かりき。
従来の諸侯領では、今回、中央から派遣されてきた地方官たちが塩や鉄器の製作を独占し、専売する制度をとったのがうまくいかず、鉄器は各段に粗悪なものとなったのに定価が高く、人民に無理やり売り買いさせるようなことが起こった。また、船舶の通交に税をかけたのだが、そのために通商をする者が極端に減ってしまい、品薄になって物価が跳ね上がった。
上由是不悦卜式。
上、これによりて卜式を悦こばず。
お上はこれが原因で、卜式への信頼を失った。
元封元年(前110)には卜式は失脚してしまうのでございました。
・・・・・・・・・・・・
積弊勢力を追い出して改革したのに、かえって社会が困窮してしまいました。やっぱり何もせずにふとんで寝ているのが一番。スーパー銭湯へ行ぐらい。