わしは「ホッホ」と鳴くのでホッホー。「啾啾」なんて難しい漢字では鳴かないでホウ。
今日は知人の家でお呼ばれいたしました。知人のコドモたちがどんどん大きくなってくるのだが、やつらとも遊びまして、おいらもコドモですから、シアワセな一日であった。ごはんおいしうございました。
だが、明日はもう日曜日、平日の前日である。平日には、コドモなのに会社に行かされるのだ。ああ、いつになったら永遠のシアワセの国に到ることができるのであろうか。
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だいたいシアワセの国が何処にあるかよくわからんのです。とりあえずその前に、寒山まで行って寒山子に会いたいものだが、そこまでさえかなり遠い。
杳杳寒山道、 杳杳たり、寒山の道、
落落冷澗浜。 落落たり、冷澗の浜。
はるかなはるかな、寒山への道、
わびしくわびしく、冷谷の水辺をいく。
「落落」は落ちぶれて寂しいことをいう。
※例えば「文選」巻20左思「詠史」、
落落窮巷士、 落落たる窮巷の士、 抱影守空盧。 影を抱きて空盧を守る。
落ちぶれてさびしげに、貧乏路地に棲むおとこ、 おのれの影を抱いて、何も無い粗末な屋内で留守番だ。
はるかな道をたどっていく間、
啾啾常有鳥、 啾啾(しゅうしゅう)として常に鳥有り、
寂寂更無人。 寂寂として更に人無し。
ちゅうちゅうとどこかで鳥が鳴いているが、
さびしくさびしく、どこにも人の姿は見えない。
淅淅風吹面、 淅淅(せきせき)として風は面を吹き、
紛紛雪積身。 紛紛として雪は身に積む。
しゅうしゅうと風はわが顔に吹きあたり、
はらはらと雪は我が身に降り積もる。
「淅淅」は風の音のオノマトペ。
※例えば杜甫「雨」、
朔風鳴淅淅、 朔風、鳴ること淅淅たり、 寒雨下霏霏。 寒雨、下ること霏霏たり。
北風はしゅうしゅうと音を立て、冷たい雨ははらはらと降ってくる。
この寒く遠い旅路の間、
朝朝不見日、 朝朝に日を見ず、
歳歳不知春。 歳歳に春を知らず。
朝が来ても朝が来ても、日は昇らない。
年が過ぎても年が過ぎても、春はやってこない。
うーん、これはひどいぞ。一段とやる気無くなってきた。
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「寒山詩」より(31番)。なんというツラいことでしょうか。なんとかして寒山まで楽に行けるように工夫しないといけません。とりあえずは明後日は休む方向で。(通じて無かったときよりはマシか→「人問寒山道」)