平成29年12月22日(金)  目次へ  前回に戻る

時速10キロ程度と移動力がきわめて低く、めったに見られないまぼろしのモグタク。冬眠前の冬至前後が観察のチャンスである。

三日続き飲み会は体重増+2キロで終了。今日がいちばん食った。ぶー。

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わが浙江・呉郡では一年で冬至節を最も重んじている。

冬至が近づくと、

親朋各以食物相饋遺、提筺擔盒、充斥道路。俗呼冬至盤。

親朋おのおの食物を以て相饋遺し、筺を提し盒を担ぎ、道路に充斥す。俗に「冬至盤」と呼べり。

親戚や友人関係にある者は、みな食べ物を作って贈り合う。ひとびとは箱を持ち、重箱を担ぎ、道路に満ち溢れて衝突しあうのである。この料理を「冬至大皿料理」と呼んでいる。

冬至の前日になりますと、

人家更速燕飲、謂之節酒。女嫁而帰寧在室者、至是必帰婿家。

人家さらに速やかに燕飲し、これを「節酒」と謂う。女嫁して帰寧して在室する者、ここに至りて必ず婿家に帰る。

ひとびとの家ではいつもより早めに宴会を開く。これは「節酒」(節句酒)と呼んでいる。女性の嫁に行って、実家に帰ってきている者は、この日までには必ず婚家に戻ることになっている。

家無大小、必市食物以享先、フ有懸掛祖先遺容者。諸凡儀文、加於常節、故有冬至大如年之諺。

家、大小無く、必ず食物を市(か)いて以て先に享し、フに祖先の遺容を懸掛する者有り。諸凡の儀文、常節の加う、故に「冬至の大なること年の如し」の諺有り。

大きな家でも小さな家でも、必ず食べ物を(自炊せず)市場で買ってきてご先祖さまに捧げる。その間に祖先の肖像画を懸ける家もある。あらゆる儀式や飾り物が他の節句以上であり、このため「冬至は年越しと同じぐらい重要である」ということわさがあるのである。

我が故郷出身の詩人・蔡雲の詩に曰く、

有幾人家掛喜神、 幾人家か喜神を掛くる有りて、

匆匆拝節趁清晨。 匆匆に拝節して清晨に趁(はし)る。

冬肥年瘦生分別、 冬肥と年瘦と、分別を生じ、

尚襲姫家建子春。 なお姫家の建子の春を襲う。

「冬肥年瘦」とは、冬至には贅沢して肥満し、年越しには節約して瘠せてしまう、という意味のことわざ。「姫家の建子の春を襲う」とは、古代の周王朝(王家の氏が「姫氏」)の時代は、北斗星の棹の部分が日の入り時に北極方向(北は子(ね)の方角)を指す「建子」の時期(冬至の属する月=現代の十二月と同じになる)を「正月」として年始にしていましたので、「冬至を新年としていた周王朝時代の伝統を継いでいる」という意味です。

 家々の中には、おめでたい神さまの画像を懸けている家もあり、

 夜明け前に節句の拝礼を行って、早朝のうちに(あいさつに)出かける。

 (どこの家でも御馳走なので)冬至には肥り、年越しは腹を減らすという区別を行って、

 今でも周王朝の冬至正月の伝統を引き継いでいるのである。

なお、夏の時代は今の二月の時期、殷の時代は今の一月の時期が新年正月で、周は十一月の時期が新年、漢にはもう一度夏の時代の暦(これを「夏正」といいます)を用いた。その後、ゲンダイまで旧暦の正月が太陽暦の二月ごろになるのは、この漢以来の伝統を継承しているのです。

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清・顧禄「清嘉録」巻十一より。さらにまだ「冬至だんご」のことや「冬至あいさつ」のことが続くのですが、飲み会帰りで頭痛いので、ここまでとさせていただきます。

やっぱり冬至は肥るんです。苦しい。年越しに瘠せれればいいが、年末年始もまた肥るから困るのである。

 

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