ニワトリやヒヨコに毎日怒られていたら、さすがに山中に隠棲してしまおうと思うであろう。
みなさんたいへんですなあ。わしはすでに山中に隠棲しておるから楽ちんじゃが。
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仲冬十一月、 仲冬の十一月、
雨雪正霏霏。 雨雪、まさに霏々(ひひ)たり。
旧暦の十一月は「冬至を含む月」ですから、ちょうどいまごろ。「霏」は天から空一面にものが降って来る様子。
冬の第二月に当たる十一月、
雨と雪がまさしく空一面に降りしきっている。
それでどうなるかといいますと、
千山同一色、 千山、同じく一色、
万径蹤跡稀。 万径、蹤跡(しょうせき)稀なり。
千の山はすべて同じ(雪の白)色になり、
万の道にはひとの足跡はほとんどない。
これは唐・柳宗元の名高い句
千山鳥飛絶、 千山鳥の飛ぶこと絶え、
万逕人蹤滅。 万逕人の蹤(あしあと)滅す。
千の山には一羽の鳥も飛んでいない。
万の道にはひとの足跡すべて無くなった。(「江雪」)
を踏まえる、というか、少し文字を入れ替えただけです。
わしはこんな情景の中で山中におるわけです。
昨游都作夢、 昨游はすべて夢と作(な)り、
草堂深掩扉。 草堂に深く扉を掩(とざ)す。
昨日までの旅は、すべてもう夢だったかのようで、
草ぶきの庵の扉を深く閉ざして引きこもっているのだ。
世間様と関係しなくて済むのはよいが、すごく寒いんです。そこで、
終夜焼榾柮、 終夜、榾柮(こつとつ)を焼き、
静読古人詩。 静かに古人の詩を読みぬ。
「榾柮」はごつごつとコブの出た木。
一晩中、ごつごつした薪を焚きながら、
静かにいにしえびとの詩を読み耽る。
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大愚良寛「詩集」より。
良寛さんが読みふけっている「古人の詩」というのは、おそらく愛読書の寒山詩であったろうと推測されます。
たとえば、
三界任縦横、 三界、縦横に任せ、
四生不可泊。 四生、泊まるべからず。
無為無事人、 無為無事のひと、
逍遥実快楽。 逍遥として実に快楽なり。
もろもろの生命は、色界、欲界、無欲界の三界を輪廻に任せてあちらに行きこちらに行き、
卵から生まれたり、子宮から生まれたり、湿気のあるところから生まれたり、突然何もないところから生まれたり、しながら、そこに止まることもない。
そんな中で、何事をも為さず、何事をも背負わないひとは、
ふらふらとして、まことに楽しいなあ。 (寒山詩「我見出家人」)
とか読んで、「ああ、わしは幸せだなあ」と呟いていたりしたのであろう。怪しからん。羨ましい。