ニワトリは実は、ウシやブタやイヌ同様に文化的なドウブツなのである。
今日は文化的な感じのする話をします。
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明の陳眉公のコトバ。
香令人幽、 香は人を幽ならしめ、
酒令人遠、 酒は人を遠ならしめ、
石令人雋、 石は人を雋ならしめ、
琴令人寂、 琴は人を寂ならしめ、
茶令人爽、 茶は人を爽ならしめ、
竹令人冷、 竹は人を冷ならしめ、
月令人孤、 月は人を孤ならしめ、
棋令人閑、 棋は人を閑ならしめ、
杖令人軽、 杖は人を軽ならしめ、
水令人空、 水は人を空ならしめ、
雪令人昿、 雪は人を昿ならしめ、
剣令人悲、 剣は人を悲ならしめ、
蒲団令人枯、 蒲団は人を枯ならしめ、
美人令人憐、 美人は人を憐ならしめ、
僧令人淡、 僧は人を淡ならしめ、
花令人韵、 花は人を韵ならしめ、
金石彝鼎令人古。 金石彝鼎(きんせきいてい)は人を古ならしむ。
お香の匂いを嗅ぐと、奥深い世界に通じたようなキモチにならないか。
お酒を飲むと、遥か遠い世界に思いを馳せてしまわないか。
石を見ていると、俊(すぐ)れた人になれるような気がしないか。
琴を聴くと、なんだか寂しくなってこないか。
茶を飲むと、なんだか爽快なキモチになってこないか。
竹があると、なんだか冷静なキモチになってこないか。
月を見ると、なんだかひとりぼっちでいるようなキモチになってこないか。
碁を打つと、なんだか閑(のど)かなキモチになってこないか。
杖を手にすると、なんだか軽快なキモチになってこないか。
水を見ていると、なんだか心が空っぽになってこないか。
雪が降ると、なんだか広びろとしたキモチになってこないか。
剣を手にすると、なんだか悲壮なキモチが湧いてこないか。
座布団に座ると、なんだか枯れてさっぱりしたキモチになってこないか。
美しいひとと出会うと、なんだか何か役に立ってあげたくなってこないか。
坊主と出会うと、なんだか淡白なキモチになってこないか。
花を見ると、なんだか風雅なキモチになってこないか。
金属器や石器や青銅の酒器・煮沸器に触れていると、なんだか遠い古代と通じ合ったキモチになってこないか。
みなさんは如何でしょう。
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「舌華録」韵語第十に載っているのを引用しました。
おいらは十七のうち九項目ぐらい当て嵌まる感じですかね。おいらはぶたニンゲンなので、完全にぶたになったりニンゲンになったりするわけではなく、その中間のどこかにいるんで、半分ぐらいですよ。明日が休みの日、だと、ニンゲンに近づいてくるので、ちょうど17分の9ぐらいの文化的な状態なんでぶー。
ちなみに一番最後に「鼎」と並べて出てくる
「彝」
(イ)というのはなかなか興趣深い字で、上の「彑」(ケイ。いのこがしら)は「ブタの鼻」なんですが、実はこの字では「糸」にしばられた「ニワトリ」の上半身の象形なんです。ニワトリを縛って、首のところを斬って血が流れている様子が「米」で、それを下から両手(あるいは二人のひと)が捧げ持っている。遥か古代、ご先祖さまや精霊に「ニワトリ犠牲」を捧げる姿を現わした字なんです。そこから派生して、「つねに」とか「お祀りのときに酒を入れて置く器」の意味になったんだそうでぶー。