平成29年11月3日(金)  目次へ  前回に戻る

ニワトリは実は、ウシやブタやイヌ同様に文化的なドウブツなのである。

今日は文化的な感じのする話をします。

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明の陳眉公のコトバ。

香令人幽、 香は人を幽ならしめ、

酒令人遠、 酒は人を遠ならしめ、

石令人雋、 石は人を雋ならしめ、

琴令人寂、 琴は人を寂ならしめ、

茶令人爽、 茶は人を爽ならしめ、

竹令人冷、 竹は人を冷ならしめ、

月令人孤、 月は人を孤ならしめ、

棋令人閑、 棋は人を閑ならしめ、

杖令人軽、 杖は人を軽ならしめ、

水令人空、 水は人を空ならしめ、

雪令人昿、 雪は人を昿ならしめ、

剣令人悲、 剣は人を悲ならしめ、

蒲団令人枯、 蒲団は人を枯ならしめ、

美人令人憐、 美人は人を憐ならしめ、

僧令人淡、 僧は人を淡ならしめ、

花令人韵、 花は人を韵ならしめ、

金石彝鼎令人古。 金石彝鼎(きんせきいてい)は人を古ならしむ。

 お香の匂いを嗅ぐと、奥深い世界に通じたようなキモチにならないか。

 お酒を飲むと、遥か遠い世界に思いを馳せてしまわないか。

 石を見ていると、俊(すぐ)れた人になれるような気がしないか。

 琴を聴くと、なんだか寂しくなってこないか。

 茶を飲むと、なんだか爽快なキモチになってこないか。

 竹があると、なんだか冷静なキモチになってこないか。

 月を見ると、なんだかひとりぼっちでいるようなキモチになってこないか。

 碁を打つと、なんだか閑(のど)かなキモチになってこないか。

 杖を手にすると、なんだか軽快なキモチになってこないか。

 水を見ていると、なんだか心が空っぽになってこないか。

 雪が降ると、なんだか広びろとしたキモチになってこないか。

 剣を手にすると、なんだか悲壮なキモチが湧いてこないか。

 座布団に座ると、なんだか枯れてさっぱりしたキモチになってこないか。

 美しいひとと出会うと、なんだか何か役に立ってあげたくなってこないか。

 坊主と出会うと、なんだか淡白なキモチになってこないか。

 花を見ると、なんだか風雅なキモチになってこないか。

 金属器や石器や青銅の酒器・煮沸器に触れていると、なんだか遠い古代と通じ合ったキモチになってこないか。

みなさんは如何でしょう。

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「舌華録」韵語第十に載っているのを引用しました。

おいらは十七のうち九項目ぐらい当て嵌まる感じですかね。おいらはぶたニンゲンなので、完全にぶたになったりニンゲンになったりするわけではなく、その中間のどこかにいるんで、半分ぐらいですよ。明日が休みの日、だと、ニンゲンに近づいてくるので、ちょうど17分の9ぐらいの文化的な状態なんでぶー。

ちなみに一番最後に「鼎」と並べて出てくる

「彝」

(イ)というのはなかなか興趣深い字で、上の「彑」(ケイ。いのこがしら)は「ブタの鼻」なんですが、実はこの字では「糸」にしばられた「ニワトリ」の上半身の象形なんです。ニワトリを縛って、首のところを斬って血が流れている様子が「米」で、それを下から両手(あるいは二人のひと)が捧げ持っている。遥か古代、ご先祖さまや精霊に「ニワトリ犠牲」を捧げる姿を現わした字なんです。そこから派生して、「つねに」とか「お祀りのときに酒を入れて置く器」の意味になったんだそうでぶー。

 

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