平成29年10月19日(木)  目次へ  前回に戻る

栄え行くものもあれば、衰えいくものもある。

台風21号がどんどん成長してくるらしいんです。一方、わしはどんどん衰えていくのだなあ。

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我聞天台山、 我は聴く、天台山の

山中有L樹。 山中にはL樹有り、と。

わたしが聴いたところでは、チャイナの天台山の

山中には「L樹」(キジュ)という玉で出来た木が自生しているのだという。

その木の実を食べれば永遠の命を得ることができ、それは天台山の山頂近くにかかる石の橋のかたわらにあるというのだが、実はこの橋に至ることのできたニンゲンはほとんどいないらしい。

永言欲攀之、 永く言(ここ)にこれを攀じんと欲するも、

莫暁石橋路。 石橋の路に暁(さと)る莫きなり。

 わたしはずっとこの木によじ登りたい(そして実を手に入れたい)と願ってきたが、

 どうやったら山頂近くの石の橋にたどりつくのは、その道筋がわからないでいるのだ。

縁此生悲嘆、 これに縁りて悲嘆を生じ、

索居将已暮。 索居してすでに暮れなんとす。

 このために悲しくて嘆きの声をあげながら、

 一人で住みながら、もう人生も終わりに近づいてきた。

「索居」について。「礼記」檀弓上篇

我離群而索居、亦已久矣。

我、群を離れて居を索(もと)め、またすでに久しきかな。

おれはひとびとの群れを離れて(一人で)暮らす地を求めて、孤独に暮らすことになってからもうずいぶん長い時間が過ぎたのだ。

というコトバから、「索居」だけでひとびとから離れて孤独に暮らす、という意味になります。

今日観鏡中、 今日、鏡中を観れば、

颯颯鬢垂素。 颯々として鬢は素を垂れたり。

 今日、鏡の中のおのれの姿を見てみたら、

 わさわさと両側の髪から白糸(白髪)が垂れていた。

もうおしまいだー。

なお、唐代のひとたちが白髪のことを「素糸」(しろいと。実は「素」一字でその意味がある)と表現することについては、こちらも参照。

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「寒山詩」より「山中L樹」(217番)。永遠の命が欲しいわけではないが、衰え行くのは秋の深まり行くごとく、寂しいことではありませんか。でぶー。

 

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