この海域にはタコが多く、珍しいミドリタコまでいるでカッパ。誰か肝冷斎の後を嗣ぐものはいないものか。
ネコも逃げて行ってしまいました。それほどニンゲン社会は厳しいのです。ドウブツも嫌がるのだから今後はもう植物とか虫に更新してもらうしかありません。が、今日のところは適当な植物や虫もいないので、そうだ、彷徨う精霊が通りかかったら、精霊にやってもらおう、と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかしなかなか精霊も通りかからないので、今日はわしが更新しておきますじゃ。わしは、肝冷斎家の分家の分家の家で使われておりやした下男でごぜえます。年老いてヒマをいただいていたのだが、御本家滅亡と聞いて廃墟を見に来たのですじゃ。
日夕著書罷、 日の夕べ、書を著すを罷め、
驚霜落素糸。 霜の素糸と落ちるに驚けり。
夕方になってきたんで書き物を已めて、
(あくびしたら)はらはらと、霜のようなものが白い糸になって落ちたので驚いた。
これはわしの白髪であったのだ。
「わしも年をとったのだなあ」
鏡中聊自笑、 鏡中にいささか自ら笑いぬ、
詎是南山期。 なんぞこれ、南山の期あらんや。
そこで鏡をのぞき込んで、年老いた自分の顔を見て力なくにやにや笑った。
こんなことでは古人が「南の山のように長生きだ」と言ったそんな寿命はあるはずはないなあ。
ここのところは、「詩経」小雅・鹿鳴之什「天保」の
如南山之寿、 南山の寿なるが如く、
不鶱不崩、 鶱(か)けず、崩れず、
如松柏之茂、 松柏の茂れるが如く、
無不爾或承。 爾の承くる或(あ)らざる無し。
南の山が永久にいのちながくありますように、
(あなたの人生も)不足もなく崩壊することなく
松や柏など常緑樹のいつも繁っているように、
あなたが恵まれないときなど、ありません。
という古代の祝い唄を踏まえているのですじゃ。
―――さて、わしの姿は、
頭上無幅巾、 頭上には幅巾無く、
苦蘖已染衣。 苦蘖(くばく)すでに衣を染む。
「幅巾」は頭巾にするほどの幅の布切れ、と言っているんです。要するに「頭巾」のことで、貴族官吏はみな帽子が頭巾を着ける。それを着けてないのはしもじもである。まあ、「苦蘖」(くばく)というのはミカン科の低木で、その樹皮から黄色い染料をとることができるが、これも貧しいしもじもの衣の色である。
頭には頭巾なんかかぶっていないし、
ミカンの樹皮で染めた汚い服を着ているのである。
礼教や官職に縛られない、かっこいい人民の姿なのだ。貧乏ですが。
不見清渓魚、 見ずや、清渓の魚、
飲水得自宜。 水を飲むも自らよろしきを得たり。
清らかな谷川で泳いでいる魚を見てください。
がぶがぶ水を飲んで、好き放題にしているでしょう。
世間と争わないので、このように自由気ままでいられるんですなあ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
唐・李賀「詠懐」二。
おおっと。あんまりこの廃墟に長居していると、またニンゲン社会とか会社のやつが連絡してきて、「しごとしろ」「責任とれ」「イヤな思いをしろ」とうるさい言ってくるかも知れません。そろそろわしは消えますじゃよ。うっひっひっひっひ。