なんでいろいろ言われねばならないのか。ぶただからか。
もうダメだ。涙流れる。明日もまだ平日だとは・・・。
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南宋のはじめごろのことです。
吏部尚書の晏景初がある士の墓誌を書くよう依頼され、草案を作って秘書の朱希真に読ませた。
朱希真読み終わって曰く、
甚妙。但似欠四字。
甚だ妙なり。ただ四字を欠くに似る。
「たいへんすばらしいですな。しかし、あれかな、四文字足らんかなあ、と思ったりもしますがどうかなあ・・・」
「なになに? なにが足らんのだ?」
晏景初は詰め寄った。
「いやー、しかしなあ・・・」
「言え。いや、言ってくれ。いや、言ってください」
朱希真はニヤニヤしながら、墓誌の終わりの方の一か所を指さした。
そこには
有文集十巻。
文集十巻有り。
(このひとには)十巻分の著作がある。
と書かれている。
此処欠。
これ、欠くるところなり。
「ここの下に四文字足りません」
「それは?」
「わたしは寡聞にしてこの方にそんなに立派な著作があるとは知りませんでした。文章や学問の面でこの方の名を聞いたこともありません。はばかりながら尚書さまはこの著作を読まれたことがありますか」
「いや・・・、遺族から「十巻分の著作がある」と聴いたので、そのまま書いただけなのじゃ」
「あまり内容のあるものとも思えないので・・・、おそらく将来この墓誌を読むひとも、この方の著作を読むことはありますまい。やはり、
当増不行于世四字。
まさに「不行于世(世に行われず)」の四字を増すべし。
ここのところに(著作はあるけど)「世間には出回っていない」(不行于世)という四文字を書き加えておくべきですな」
「なるほど、わかった」
ところが、その後しばらくして、朱希真は晏景初と政治的に袂を分かって、金との和議を進める立場に立ちました。
晏景初は、それが癪に障ったのかどうか、最終的に
増蔵于家三字。
「蔵于家(家に蔵す)」の三字を増せり。
「自宅にしまいこんでいる」(蔵于家)の三文字を増やすだけで済ませた。
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宋・陸放翁「老学庵筆記」巻一より。有名な話らしいのですが、何で有名なんかよくわからん。ただ、この墓誌を書いてもらった士は肝冷斎の先駆者だったのであろう、という推測は成り立つ。その著作が世に行われることなく、その名が伝わらないからである。(なお、このお話、今から七年前にも紹介しています。今読んでみると当時はそういう政治情勢下でそういう解釈をしていたんだなあ、といまさらながら時世の移り変わりに驚くほどである。当時は晏景初と朱希真の年齢差や政治的行動を顧慮せずに訳してみたんだなー)
なお、今の肝冷斎は「ぶた肝冷斎」でぶから、ニンゲンでもありませんので、この士の後継者でもなんでもありませんでぶー。ぶっぶっぶー。