秋を迎えたぶたたちの群像。背後から生きることへの不安や社会への恐怖の象徴?である巨大ニワトリが迫っている。
職業ツラい。今日もまた涙がにじむ。
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秋も深まってまいりました。野原に立って空を振り仰ぐと、
粛粛天気清、 粛々として天気清く、
哀哀鴻雁飛。 哀々として鴻雁飛ぶ。
きりきりと引き締まって、すがすがしい天気になってきました。
空には、かなしげな声をあげて雁が飛んできている。
草草日西頽、 草々(そうそう)として日は西に頽(くず)れ、
淅淅風吹衣。 淅々(せきせき)として風は衣を吹きぬ。
「草草」は「早早」と同じ。「淅淅」はしゅうしゅうという風や水の音を現わすオノマトペ。
はやばやと日は西に傾いて落ちていき、
さむざむと風はわたしのころもを吹きすぎる。
今日の日も、風も、去っていくのだ。
我亦従玆去、 我もまたここより去りて、
寥寥掩柴扉。 寥寥(りょうりょう)として柴扉を掩わん。
わたしもまたこの場から去っていき、
さびしげに(粗末な家に帰って)柴の扉を閉じてしまおう。
もう現世を去って自分の本来の家(あの世)に行こう、というのである。
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「寒山集」かと思いましたが、これは本朝の大愚良寛さんの詩です。良寛さんは歌人でもあるから、おそらく、
旅人の袖吹きかへす秋風に夕日さびしき山のかけ橋 (新古今巻十 藤原定家)
も踏まえていると思います。
毎日毎日涙にじむ生活も飽きてきたので、おいらもそろそろ行くことにしようかなー。でぶー。