石垣の神さま「ミルク」。柳田國男先生によればもちろん「弥勒」のほか、「ミミラク」や「ニライ」とも関係のある来訪神ということになるのである。・・・みたいなことを考えて、一日中ブタのようにごろごろしているのはシアワセなことであろう。→こんなのも参考にはなるのでは「弥勒仏謡言」
やっと木曜日。まだ明日も平日だという。みなさんたいへんでぶなあ。
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明代のお話です。
内閣殿学士まで務めた呉寛さまが引退して実家に帰った後、
訪山人邢量。
山人・邢量を訪う。
山中に隠棲している古い友人の邢量のところを訪れた。
邢量は一人暮らしで、
自炊羹。
自ら羹を炊く。
みずからスープを作ってくれた。
なかなか旨いので、呉寛は言った。
卿亦知調羹耶。
卿もまた羹を調うるを知るか。
「おまえさんでもスープの味付けは知っていたとみえるな」
スープに味付けするように細かい根回しや調整をして社会を生き抜いてきた自分の人生と比較して、こう言ったのであろう。
邢量の方は不機嫌そうな顔で、
如公之扣蓬門、終是勉強従事。
公の蓬門を扣(たた)くが如きありて、ついにこれ勉強して従事す。
「おまえさんのようなお偉い方が、このボロッちい門を叩いて訪ねて来てくれる、というようなことが起こったから、追い込まれて無理やりこんなことをする羽目になったみたいじゃぞ」
「わははは」
呉寛は笑ったが、邢量は笑いもしなかったから、本心だったのであろう。
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明・曹臣「舌華録」謔語第八より。同書からの引用は久しぶりで、先々代のニンゲン肝冷斎時代以来かと思います。曹臣は「世説新語」に感動して、それを真似て「舌華録」を編んだそうなのでぶよ。短いエピソードばかりで読みやすくて、道徳や正義が議論されるわけでもないので、ぶた肝冷斎のようにシゴトにも行かずにごろごろぶうぶうしている者が読むのに、実にふさわしい本でぶ。明日もこれ読んで暮らしていようかなー。