力士の「土俵入り」が陰陽道の「反閉」であり、もとをたどれば道教の「禹歩」。いずれも大地の精霊を鎮める呪術なのである。いずれにせよ「歩」は神秘的な行為なのだ・・・あ、いや、行為なのでぶー。
やっと金曜日。だが来週また平日が来るという。ニンゲンのみなさんはたいへんでぶなあ。
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古代の周のころ、地方官の一つとして「族師」という職がございまして、
族師各掌其族之戒令政事。
族師はおのおのその族の戒令、政事を掌る。
「族師」はそれぞれ、その「族」の禁止事項やまつりごとを所掌する。
とされておりました。
「族」は「旗」を同じくする部隊をいう軍事用語のようですが、漢の鄭氏によれば「百戸を族といった」そうですので、百戸ごとにまとめられて軍事に従事する人民について指導するのが「族師」という職のシゴト内容であるようです。
その具体的な仕事は、
月吉、則属民而読邦灋、書其孝弟睦婣有学者。
月吉にはすなわち民を属して邦の灋(ほう)を読み、その孝弟睦婣(りくいん)の学ぶ有る者を書す。
「月吉」は月が新たになる陰暦の朔日のこと「灋」は「法」の旧字。「孝弟」の「孝」は直系尊属への敬愛、「弟」は年長者への尊攘、「婣」は「姻」の別字で婚姻関係により設定される人間関係をいっています。
毎月一日に、所管する人民を集めて、国から示された規制事項を読み上げて周知するとともに、その一か月間に起こった、親孝行や年長者への敬いや睦ましい夫婦仲などの行為について報告を受け、将来に向けて情報を共有すべきことを文書化して記録する。
それから、
春秋祭酺、亦如之。
春秋に酺(ほ)を祭りて、またかくの如し。
春と秋の「酺」のお祭りのときにも同様のこと(法の読み上げ、特記事項の記録)を行う。
そうなんです。
さて、この「酺」とは何ものか。
後漢・鄭玄の注にいう、
酺者、為人物烖害之神也。故書酺或為歩。
酺なるものは人物の烖害の神なり。故に酺と書しあるいは歩と為す。
酺(ほ)というのは、ニンゲンやドウブツに災いや害悪を下すところの神さまである。そこで、「酺」と書いたり、あるいは「歩」と表記したりする。
これだけですと、災害を降す、古代的にはおそらく穢れなどの罪を罰する神さまなのであろうと思われます。
しかし、鄭玄はここで不思議な疑問を呈しています。
未知此世所云、蝝螟之酺与、人鬼之歩与。
いまだ知らず、これ世に云うところの「蝝螟(えんめい)の酺」か、「人鬼の歩」か。
自分には、この「ホ」という神が、世間でいう「イモムシやブヨのホ」なのか「ニンゲンや精霊のホ」なのかわからないでいるんです。
?
あるいは、とさらに第三説を提出しています。
「酺」という字はもともとは酒宴をいうことばとされていますので、
族長無飲酒之礼、因祭酺而与其民以長幼相献酬焉。
族、長く飲酒の礼無し、因りて祭酺してその民と長幼を以て相い献酬せり。
「族」の集まりには「宴会」の規定がありません。そこで、(何かを)祭ったあとの直会の宴会(「酺」)を行って、人民たちと長幼の序列に応じた杯のやりとりをした、というものかも知れません。
ぶぶー。
鄭玄のようなひとでもわからないのでは、おいらのようなぶたにはもちろん、どの説が正しいのかわかりません。
そこで、清の大学者・孫詒譲がこの三説を比較してくれているのを読みます。
まず、「酺」は「宴会」のことではないか、という第三説については、漢代に三月巳の日、水辺で飲食するのを「酺」といった、という古い記録を持ち出してきて、漢や後漢の学者たちは、この風俗を周代の「酺」が伝わったものではないかと推測して、この説を考えたのであって、採用しえない、としています。
その上で、漢代の世俗に「酺」と「歩」があったことに着目して、
蝝螟之酺、即為物烖害之神、人鬼之歩、即為人烖害之神也。
蝝螟の酺はすなわち物の烖害の神たり、人鬼の歩はすなわち人の烖害の神なり。
「イモムシやブヨのホ」というときの「酺」神はドウブツに罰を与える(ここではおそらくムシ避け)神さまで、「ニンゲンや精霊のホ」というときの「歩」はニンゲンに罰を与える神さまだったのだろう。
さらに、歴代の徐養原や恵士奇らの説を引いて、
―――「酺」と「歩」は漢代に別だっただけで、もともとは同じ一つの神格だったのであろう。「史記」の注や「淮南子」などに「布」という祭りが出てくるが、これもおそらく古代においては同じ神だったのではなかろうか。
と言っています。
結論が出ました。
ああよかった。これで安心して寝られる・・・と思ったら、孫詒譲はそれではまだ許してくれません。
―――確かに漢代には「酺」や「歩」は神様の名前だったのかも知れないが、もっと古い例を見ると、「周礼・校官」に「馬歩」(馬の歩をする)、「大戴礼記」に「歩於四川」(四つの川のほとりで歩を行う)といった記述があり、
歩為祭名。
歩は祭の名なり。
「歩」は(祭りの対象である神さまではなく)祭り方の名称であった。
と言い出しました。
―――その証拠に、上記で「酺」や「歩」と同じではないかといわれている「布」についての古代の注釈を見ていくと、「星を祭るを「布」という」とか「「布」とは地にばらまく祭りである」とか「日月星辰に布す」といったコトバが出てくるので、「布」は神様の名前ではなく、「祭り方」であることが明らかなのだ。
なんだそうなんです。
「歩」が罰を降す神さまの名前だと「歳」というこれも古い山岳神で、刑罰を司るとされるもの(木星をいう「歳星」もおそらく同源)の来歴がわかる(「歳」は「歩」の真ん中を「戈」で断ち切った字です)と思ったんですが、そう簡単ではないようですね。
さて、もうそろそろ寝ていいのかな? こういうのはオモシロいんですが、すごく眠くなってくるんですよね・・・。
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「周礼」地官・族師より(孫詒譲「周礼正義」に拠る)。実はこのあとさらに漢の時代に「醵」(きょ)というお酒を使った祭礼があったのですが、これが周の時代に「酺」といわれていたことを立証して、最初に否定した「第三説」があながち間違いではない、ということを言い出すんですが、それはもう寝てからのことにいたします。
・・・じゃなくて、「いたしますでぶー。」でした。おいらはぶた肝冷斎でぶー。(いかんな週末になると、やつらの目を誤魔化すためにぶた仮面をつけてぶたに化けているのを忘れてしまいそうになるわい。)