実りの秋にはふかふかのぶたパンも大量にできるでぶー。たくさん食べれば空気が腹にたまって空に浮かべるかも。
台風が来ているので、今日は涼しかった。明日は通過して暑くなるそうでぶ。
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明の時代、江南のある町でのことでございます。
町に見慣れぬ道士がやってきた。市場の片隅に机と椅子を出し、机には硯と筆を置いて、にこにこしながらそこに座っているばかりで、看板も何もないから何を売っているのかわからなかった。
しかし何を売っているのかわからなかったのは大人たちの間だけのことで、童子らはすぐに道士の売り物を知ったらしい。たちまち童子らは、大人たちに一銭の小遣いをくれとせびるようになった。
群児毎持一銭、与之、便以朱書雷字於其掌心。
群児、一銭を持するごとにこれに与うれば、すなわち朱を以て「雷」字をその掌心に書く。
童子たちは一銭のカネをもらうと、すぐにこれを持って道士のところに行った。道士にこれを支払うと、道士はかわりに朱を筆に含ませて、童子のてのひらに「雷」の字を書いてくれるのである。
「わーい、書いてもらいまちたー」
書いてもらった童子は、
趨鬧市中、揚言曰、雷来矣、雷来矣。舒掌即作殷殷之声、騰於空中。
鬧市の中に趨りて、揚言して曰く、「雷来たれ、雷来たれ」と。掌を舒するに、即ち殷殷の声を作して空中に騰がる。
繁華街の方に走って行って、大声で「カミナリさま、お出でなさい。カミナリさま、お出でなさい」と空に向かって呼びかけ、それからおもむろにてのひらを開くと、「雷」の字は「ごろごろ」と音を立てながら空に浮かび上がるのである。
「雷か?」
「この上天気に?」
市人仰観青天、無不駭異。久之漸漸而止。
市人青天を仰観して駭異せざる無し。これを久しくして漸漸に止む。
繁華街のひとびとは青空を仰ぎ見て、驚きいぶかしまない者はいない。しばらくすると(朱色の文字ははるか空高くに見えなくなってしまい)ごろごろという音もだんだんに聞こえなくなっていくのである。
童子らは大人たちが驚くのが楽しくてたまらなかったし、童子らがそれを楽しむのが、道士にも楽しくてしかたがないふうであった。
この道士は張皮雀。胡風子という仙人の弟子だと名乗り、ほかにもたくさんの小さな魔法を使って、一時は江南一帯でたいへん人気を博したのである。
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明・銭希言「獪園」巻二より。
みなさんもいい子にしていたら、ほかにも張皮雀の活躍を教えてあげますでぶー。飴は買ってもらわないといけないけど・・・と思ったが、みなさんは自分たちのことオトナだと思っているらしいので、こんな話聞きたくないんだろうなあ。
復員服の飴屋が通る頃ならんふくらみながら豆煮えはじむ (寺山修司)
昭和33年の作品なんだそうで、もう遠い遠いむかしの歌なので誰も耳傾ける者も無いであろう。カネにでもならないかぎり。