平成29年9月16日(土)  目次へ  前回に戻る

まんじゅうはコワいのう。太ってしまうこともあるのじゃ。

ぶー。ゆうべは入院していたので休みました。今日は更新するでぶー。

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唐・太宗の貞観十七年(643)の初秋七月のことだそうでございますが、

民訛言官遣棖棖殺人、以祭天狗。

民、訛言して「官、棖棖(とうとう)を遣わして人を殺し、以て天狗(てんこう)を祭る」と。

(都・長安の)人民たちが、うわさしあって言うには、

「お上が「棖棖」(とうとう)のやつに命じてひとを殺させているらしい。人を殺して天狗をお祀りするためなんだってよ」

と。

「天狗」(てんこう)は我が国のテングさまではなくて、音を立てて空を流れる星をいうのが一般ですが、それがニンゲンの犠牲を求めているらしい。それを朝廷が「棖棖」に命じてやらせているというのだが・・・。

ウワサがだんだん細かくなってきて、

云、其来也、身衣狗皮、鉄爪、毎於暗中取人心肝而去。

云うに、その来たるや、身に狗皮、鉄爪を衣(つ)け、つねに暗中において人の心肝を取りて去る、と。

「アレが来るときは、イヌの皮の服を着、鉄の爪を装着している。アレは闇の中から突然現れて、ニンゲンの心臓や肝臓を捕ってどこかに去っていくんだってよ」

ということになってきた。

於是更相震怖、毎夜驚擾、皆引弓斂自防、無兵器者剡竹為之。郊外不敢独行。

ここにおいて更に相震怖し、毎夜驚き擾(さわ)ぎ、みな弓を引きて自防を斂(おさ)め、兵器無き者は竹を剡(けず)りてこれを為(つく)る。郊外はあえて独行せず。

そうして、お互いに顔を合わせるたびに棖棖のウワサをしあっては恐れ震えあい、毎晩どこかでパニックに陥って大騒ぎを起こすというありさま。ひとびとはみんな(毎晩)弓を引きしぼって自衛し、武器を持たない者は竹を削って武器を作って備えていた。城門の外には誰もひとりで行こうとはしなかった。

しかし、朝廷が「棖棖」なるものにそんな命令を下しているわけがありません。

「なぜそんなウワサが広まっているのだ」

太宗悪之、令通夜開諸坊門、宣旨慰諭、月余乃止。

太宗これを悪み、通夜、諸坊の門を開かしめ、宣旨して慰諭し、月余にしてすなわち止みぬ。

太宗皇帝はこのことをお聴きになって嫌がられ、命令を下して都内の町ごとの門を閉じさせず、お言葉を下して人民たちの不安を取り除かせた。一か月余りしてようやく落ち着いた。

それからちょうど百年ほどした玄宗の天宝三年(744)春二月、

有星如月、墜于東南。墜後有声。

星の月の如き有りて東南に墜つ。墜つる後、声有り。

月のように大きな星が出現し、長安から東南の方向に落ちた。落ちたあと、音が響き渡った。

この直後から、

京師訛言官遣棖棖捕人、取肝以祭天狗。

京師訛言して「官、棖棖を遣わして人を捕え、肝を取りて天狗を祭る」と。

みやこのひとびとは、「お上が「棖棖」に命じて人を捕らえさせているそうだ。捕らえた人の腹を割いて肝臓を採り出し、それで天狗をお祀りするのだというぞ」とウワサしあった。

お。今回は心臓は要らないみたいだぞ。

今回もだんだんと広がり、

人頗恐懼、畿内尤甚。遣使安諭之、与貞観十七年占同。

人すこぶる恐懼し、畿内もっとも甚だし。使いを遣わしてこれを安諭すること、貞観十七年の占と同じ。

ひとびとは異常なまでに恐れおののき、都周辺でたいへんなことになった。朝廷からは、貞観十七年のときと同様に、使者を出してひとびとにお言葉を下して安心せしめた。

のだそうです。

不安なときにはデマには気をつけないといけませんね。

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「新唐書」巻三十五・五行志二「訛言」より。

「棖棖」(とうとう)とはいったいどういう怪物なのであろうか。名前からみて西域起源で、かつ朝廷と深い関係のある破壊神である、というぐらいしか想像がつきません(ぶたではないと思うでぶー)が、百年もの間、民衆の心の中のどこに眠っていたのでありましょう。

九世紀初め、「鬼才」といわれた詩人・李賀に、「秦王」という魔術王についてうたった幻想詩(「秦王飲酒の歌」)があり、その中にちらりと「棖棖」が出てきます。

その詩にいうに、秦王はいずれの時代のひとか、巨大な猛虎に乗って世界の八方の果てを征服しつくしたのだが、その剣の光のせいで空は青黒く変色し、太陽を鞭打ったので太陽の表面のガラスが音を立てて割れ、先の世界が滅びるときに積もったという灰が巻き起こって天空は曇ったのだという。

その暗闇の中で、秦王は宴を開き、

龍頭瀉酒邀酒星、 龍頭より酒をそそぎて酒星を邀(むか)え、

金槽琵琶夜棖棖、 金槽の琵琶は夜に「棖棖」と

洞庭雨脚来吹笙。 洞庭の雨脚は来たりて笙を吹く。

酒酣喝月使倒行、 酒たけなわにして月に喝して倒行せしむれば、

銀雲櫛櫛瑶殿明。 銀雲櫛櫛(しつしつ)として瑶殿明らかなり。

 龍の頭(のかたちをした酒器)から酒を注いで、そこに酒星の精を迎えようとし、

黄金の胴の琵琶を弾き鳴らせば、その琵琶は夜闇に「とうとう」の名を奏でて、

洞庭の湖に棲み雨を降らせる足だけの怪物が、やってきて笛を合奏する。

酒宴たけなわなるとき、空を行く月を叱りつけて、時間を巻き戻して夜を長くさせたところ、

銀色の雲はしずしずと沈んで、(月にある)瑶殿は輝きを増す。

しかし天体にも権勢を及ぼしたその魔王でさえ、千年の寿はなく滅んだ・・・というのであるが、太宗皇帝の即位前の称号が「秦王」であったことと、果たして暗合があるのか否か。社会から排斥されて怨みの中で死んだ李賀に、史上屈指の名君にして兄弟殺しの権力主義者である太宗(なお、太宗の父・高祖は李賀の五代前の先祖に当たる淮安王・李神通の従兄弟である)はどのように認識されていたのでありましょうか。

ぶー。

 

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