巨大なニワトリに叱られるのは理不尽でも仕方がないと思わざるを得ないが、その威を借りるひよこにまで叱られるのはツラいときもある。
(くっくっく、最近はぶた冷斎に更新をさせているので、会社のやつらはわしがまだ生きているということに気づいていないようじゃな。)
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突然ですが、元和五年(1619)、福島正則が改易されることになったんだそうです。
時正則在江戸邸、将軍在京師、使使者来就第伝命。
時に正則、江戸邸に在り、将軍京師に在りて、使者をして来たりて第に就きて命を伝えしむ。
このとき、正則は(参勤交代で)江戸の屋敷にいて、将軍秀忠さまは京都におられ、使者を江戸の屋敷に赴かせて、(改易して信濃に幽閉する旨の)命令を伝えさせたのであった。
命令を聞いた正則は、
黙然久之、曰、使前将軍在則吾将一言焉、今復何言。
黙然これを久しくして、曰く、「前将軍をして在らしめば、すなわち吾まさに一言せんとするも、今また何をか言わんや」と。
だいぶん長い間黙りこくっていたが、やがて口を開いて、
「前将軍(家康公)がご存命ならば、わしも一言は言いたいこともあったわさ。しかし、今となっては何を言うことがあろうか」
と言いました。
それから、ふと立ち上がって、使者をそのままにして奥の部屋に入って行った。
しばらくすると、奥の部屋で何やら騒ぎが起こっているようである。
久之、挈其両女子出、流涕謂使者、曰、吾欲与足下決死也、将先殺女児、終不忍加刃。当甘心受命。
これを久しくして、その両女子を挈(ひっさ)げて出で、涕を流して使者に謂いて曰く、「吾足下と決死せんと欲し、まさにまず女児を殺さんとするもついに刃を加うるに忍びず。まさに甘心して受命すべし」と。
やがて、正則は、両腕に二人のまだ幼い娘を引っ提げて使者の前に出てきた。そして、なみだを流して使者に言うには、
「わしは、おまえさんの引き連れてきた兵士らと最後の戦いをして、いくさ人らしく死なせてもらおうかと思った。心置きなく戦えるようにわしの二人の娘をまず殺しておこうとしたのじゃが・・・、結局、斬り殺す覚悟ができなんだのじゃ。今はもはやおとなしう秀忠どののご命令を受けましょうぞ」
と。
かくして廣島に置いた家臣にあてて城を明け渡す命令書をしたためると、配所の信濃に向かったのであった・・・。
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(なるほどなあ。やっぱり「日本外史」はオモシロいなあ(巻十七「豊臣氏」より)。見てきたように書いてあるからなあ。明日からはやつらの目をくらますため、入院する予定なんですが、やはり病院にはこの本持っていくのがいいのカモ。)