秋である。すばらしく美味そうなキノコが獲れたでぶー。
キノコなべにします。
なんかしびれてきたような気がするが、熱を通しているから大丈夫でぶー・・・・・・。さて、ぶたとのの運命や如何に。(9月13日に続く)
やはりセミには九月中旬以降の更新は無理だったようで、逃亡してしまいました。今日はわしが更新します・・・「おまえは誰だ?」い、いや、正体は明かせませんのじゃ。
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セミは一番長くて数週間です。ニンゲンはどれだけ長生きしてもまずはたいてい百年まで行きません。
可惜百年屋、 惜しむべし、百年の屋、
左倒右復傾。 左に倒れ、右にもまた傾く。
残念なことだが、築百年のこの家は、
左に倒れかかり、右に傾いてしまっている。
牆壁分散尽、 牆・壁は分散し尽し、
木植乱差横。 木植は乱差横たわれり。
垣根も壁もぼろぼろに壊れ、
植木はあちこちして横たわっていたりする。
甎瓦片片落、 甎瓦片片として落ち、
朽爛不堪停。 朽爛して停どむるに堪えざらん。
かわらはかけらになって落ちていて、
柱などは腐りただれていて、住むのは不可能である。
さらに
狂風吹驀榻、 狂風、驀(ばく)として榻を吹き、
再豎卒難成。 再豎はついに成し難し。
狂ったような風が突然吹いてきて、ベッドの上を過ぎ去った。
もう一度立て直すというのは、まったできないことであろう。
「百年の屋」といっているのがニンゲンの(からだの)ことですね。だんだん弱って来て、そこへ「狂風」まで吹いてきたんなら、もう立て直せませんよー。
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「寒山詩」第183篇。セミとニンゲン、長いと短いだけの差しかありません。
なお、家を自分だとする比喩はチャイナの詩人たちの常套である。
唐の段穀というひと、ある日、街のど真ん中で
「おれのうたを聞け!」
と叫ぶと、驚くひとびとの前で歌い出した。
一間茅屋、 一間の茅屋、
尚自修治。 なお自ら修治すべし。
一間っきりのぼろ家でも、
治す気があれば修理することもできましょう。
しかしながら、誰も修理するひとなく、
任狂風吹、 狂風の吹くに任せれば、
連簷破砕。 連簷も破砕さる。
枓構斜敲、 枓構も斜めに敲かれ、
看著倒也。 看著するにさかしまなり。
狂ったような風に任せておけば、
つらなる軒先も破れ砕けてしまい、
軒のますがたや構えも斜めに叩きつぶされて、
さかさまにぶらさがっているのが見られるだろう。
ああ。
牆壁作散土一堆、 牆壁は散土の一堆となるに、
主人翁永不来帰。 主人翁、永く来帰せず。
垣根も壁もばらばらに、ひとかたまりの土くれになってしまっているというのに、
この家の主人はまだ帰ってこないのだなあ。
「市中狂吟」(「全唐詩」巻861)。歌い終わると、茫然としているひとびとに笑いかけながら、いずこえとも鳴く去って行った。
みなさんの主人翁は自分を忘れて、富貴とか名誉とかそんなものを求めてさまよっているようなんです。おいらはみなさんが帰ってくるのを待ってられないので、先に行きますよ。