ぶたロボットはポンポコの渦巻きが気になるようである。ナルトが食べたくなる、という運命だったのであろう。
明日から平日。もう対応するのムリ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明の時代のことです。
陳繡山先生というひとが、洛陽の官舎にいたとき、
夜見一騾鬼。
夜、一騾鬼を見る。
夜中、ラバの妖怪を見た。
妖怪は、
繞樹而走、且作声。
樹を繞りて走り、かつ声を作す。
官舎の庭の木のまわりをぐるぐると走り回り、しかも声をあげて鳴いたのであった。
その次の日、
幼子有小疾、誤為庸医所殺。
幼子小疾有り、誤ちて庸医の殺すところとなる。
幼い先生のお子様がちょっとした病気になったのだが、やぶ医者の診療が悪く、死んでしまった。
「わしがあんなものを見てしまったから、この子は死んでしまったんではないだろうか」
先生はずっとこのことを気に病んでいた。
ところでこのころ、皇帝は各地に使者を遣わして、民間に出回っている占いの書を集めさせていたのだが、この使者の一人が先生と科挙試験の同期合格者で、洛陽に立ち寄った際に、収集してきた占い書のいくつかを見せてくれた。
「ほほう、どんなことが書いてあるのかな」
あまり興味は無かったものの、手渡された占い書を何の気無しに開くと、
中有語云、見騾鬼者、主喪幼子。
中に語有りて云う、「騾鬼を見る者は、主、幼子を喪わん」と。
そこに書かれた
「ラバの妖怪が現れると、その家の主人のおさなごがいなくなる」
というコトバが目に入ってきた。
ああ。
先生歎曰、事固有定数哉。騾鬼何足怪、而失児何足悲也。
先生歎じて曰く、「事、もとより定数有るかな。騾鬼何ぞ怪しむに足るらん、而して児を失うも何ぞ悲しむに足らんや」と。
先生はため息をついて、言った。
「ものごとには、はじめから定まった運命があったのだ。ラバの妖怪ももともと予言されていたのだから、不思議なものでもなんでもないし、我が子が死んだことも、悲しむべきことでもなんでもなかったのだ」
これによって先生は、
遂為釈然。
遂に釈然たり。
とうとうコドモを無くした哀しみを思い切ることができたのであった。
世の中のことがすべて運命として定まっている―――ということも、抗いようのない運命に苦しんでいるひとにとっては救済となるのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明・劉忭等「続耳譚」巻二より「騾鬼」。
というふうに、わしがニンゲン社会から消えていきますのも、はじめから決まっていたことだと思えば、怪しむには足りないのである。