みんみんみん、セミが鳴くのもあと何日か。特に今日は会社で決定的な失態をしてしまっており、週明けにはたいへんな目に遭わされるのだ・・・。
今日はかなり暑かったでみんみん。
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週末なので、特別サービスで、ニンゲンのみなさまの心胆を寒からしめるような話をいたしてやるでみん。
清の乾隆年間、呉中に「臭銅員外」(銅の臭いのする生員候補=学校に行く資格はある者、で、知識人階級の最下層である)といわれる人がいた。
先祖伝来の相当な財産家であったが、その家訓は「刻省」(ぎりぎりまで倹約せよ)の二字。
あるとき、所用で数日出かけることになったが、馬に乗ったり船に乗ったり、人を雇ったりするのがもったいない。
そこで、
嚢糠粃三斗、繋狗頸上、己饑則食糠、狗饑則食己之所変。得意径行。
糠粃三斗を嚢して狗の頸上に繋け、おのれ饑うればすなわち糠を食らい、狗饑うればすなわち己の変ずるところを食らわしむ。得意にして径行せり。
ヌカを多量に袋に詰めて、これをイヌの首の上あたりに背負わせて、自分の腹が減ったらそのヌカを食うことにし、イヌの腹が減ったら自分が腹の中で変化させたもの(排泄物ですね)を食わせることにした。これで、ヌカだけで用務地まで往復できるというので非常に心に叶い、すたすたと道を進んで行ったのである。
用務を果たして帰ってきたところ、その子どもが門の前に待っていて、出迎えてまず最初に曰く、
爺遠出一度、旅費奈何。
爺、遠出すること一度、旅費奈何(いかん)ぞ。
「お父上さま、今回のご旅行一回で、どれぐらいのおカネがかかったのでちゅかな?」
旅中の安全や健康などではなく、このことこそがこの家の最大の関心事なのであった。
員外が上記のような方法で、
「実質ヌカだけで往復することができたんじゃ」
と得意げに答えると、
「ああー!!」
其子号咷大哭曰、爺如此暴殄天物、子孫恐不免餓殍。
その子、号咷(ごうとう)大哭して曰く、「爺、かくの如く天物を暴殄(ぼうてん)せば、子孫恐るらくは餓殍(がひょう)を免れざらん」と。
その子が叫び声をあげ、泣いて言うには、
「お父上さま、そんなに天からいただいた財産を無計画に使ってしまったなら、われら子孫は必ず、いつの日にか飢え死にしてしまいまちゅぞ!」
と。
「では、どうすればよかったのじゃ」
依児算来、爺糞狗吃、狗糞爺吃、双双輪回吃転、豈不還省一斗帰家。
児の算に依り来たれば、爺糞狗吃らい、狗糞爺吃らいて、双双輪回して吃転せば、あにまた一斗を省きて家に帰らざらんや。
「おいらの考えを申し上げまちゅれば、お父上のうんちをイヌが食い、イヌのうんちをお父上が食って、二つの車輪がぐるぐる回るようにお互い食らいあったなら、あと一斗ぐらいのヌカを倹約して、家に持ち帰れたのではないでしょうかな」
「なるほど」
員外恍然曰、我児高見、必能自食其力、無求於人。
員外恍然として曰く、「我が児の高見なる、必ずよくその力にて自食し、人に求むる無からん」と。
員外はうっとりとして言った。
「わしの子どもながら、すばらしい考えじゃ。これであれば自らの力で生活することができ、他人さまの世話になる必要はないであろう」
そして、このことをあちこちで吹聴して我が子の自慢をし、次の旅行のときには、もちろんその提案を実施したのであった・・・・。
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清・破額山人「夜航船」巻四より。ニンゲンのみなさまは心胆寒からしめられたことでございましょう。みいんみんみん。
しかし、もしかしたら、「これは勉強になった、わしも次回からはそうしよう」と思ったひともいるかも知れません。カネが一番、のみなさんですからなあ。おいらたちセミは露を少しすするだけで、基本的に何も食いませんから、おしっこしかしませんので、真似できないなあ。