平成29年8月5日(土)  目次へ  前回に戻る

ぶたにさえでかい顔をする巨大ニワトリ。何事にも心を動かすことがないぐらい、精神が鍛えられているのであろう。

昨日の晩飯はかなり美味かった。しかも量もすばらしかったので、食い過ぎて腹苦しく、肝冷斎の腹がハレツしてしまいました。今日からは肝冷斎はいませんので、とりあえずわたくし肝煉斎が代理します。肝煉斎は「肝を煉る」から来ている斎名ですが、ところで「肝を煉る」とはどういうことか。

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まず、こんなお話からです。

晋書・楽廣伝に曰く、

楽廣、字は彦輔、南陽のひと、河南尹のとき、親しんでいた友人があったが、このひとがしばらく来ない。

ひとをやって様子をうかがわせると、病気であるという。

前在坐、蒙賜酒、方飲忽見盃中有蛇。意甚悪之。既飲而疾。

さきに坐に在りて酒を賜うを蒙るに、まさに飲まんとしてたちまち盃中に蛇有るを見たり。意はなはだこれを悪(にく)む。既に飲みて疾(や)めり。

「実は、前回おじゃましたときに、対座してお酒をいただきましたが、その際、口をつけようとした瞬間、さかずきの中にヘビの姿が見えたのです。もちろん実際にヘビがいたわけはないのですが、そのとき、心の中で「これは不吉な前兆ではないか」とイヤな思いになりました。そのお酒を飲んで、それからずっと病に臥せっているのです」

というのであった。

「ヘビがさかずきに? なぜそんなものが見えたのだろう」

楽廣、さきに酒席を設けた部屋に行っていろいろ調べてみたところ、

壁上有角弓、漆画作蛇。廣意盃中蛇即角弓影也。

壁上に角弓有りて、漆にて画きて蛇を作せり。廣、意うに、盃中の蛇はすなわち角弓の影ならん、と。

壁の上に弓型に曲がった角の飾り物があった。この角の飾り物には、漆を使ってヘビの絵が描かれていた。

「ははーん」

楽廣は、おそらく、友人がみた「さかずきの中のヘビ」というのは、この飾り物がお酒の表面に映っていたのではないか、と思ったのである。

そこで友人をムリに招待して、

復置酒於前処。

また酒を前処に置けり。

また、同じところにお酒を出して、そのひとを座らせた。

そのひとは非常にいやがっていたが、楽廣は無理やりさかずきを持たせ、それに酒を注いで、

盃中復有所見不。

盃中また見るところ有りやいなや。

「さかずきの中には、今回も何か見えるかな?」

と問うた。

そのひとは苦しそうに答えて曰く、

所見如初。

見るところ初めの如し。

「まただ。また、前回と同じヘビが見える。やはりおれの運命は・・・」

「わはははは」

と大笑いして

廣乃告其所以。

廣すなわちその所以を告ぐ。

楽廣は壁の上を指さして、種明かしをしてやった。

「ああ、なんだ、そういうことだったのか」

「わはははは」「わはははは」

客豁然意解、沈痾頓癒。

客、豁然として意解け、沈痾とみに癒ゆ。

友人は、すっかり心配がなくなってしまい、長患いはそのとたんに治ってしまった。

楽廣は後に尚書令に進んだひとである。

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「蒙求」巻上「廣客蛇影」というお話でございます。

わはははは。なんだ、笑い話か。あほうらしい。テレビで芸人見ている方がおもしろいや。肝煉斎の話なんか聞くのやーめた。

とみなさんは去って行ってしまうでしょうが、勘のいい人はあることに気づくはずですね。すなわち、

われわれは人生の途上でいろいろ悩んでいるが、その悩みって、もしかしたらこの盃中のヘビのように、ありもしないものを前提にして悩んでいるのではないか―――

ということです・・・が、去って行ってしまったから気づかないだろうなあ。

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元・喬吉「双調・売花曲・悟世」(双調の「花売りのうた」の節で。「世の中のこと、わかったよ」)にいう、

肝腸百煉炉間鉄、 肝腸は百煉の炉間の鉄のごとく、

富貴三更枕上蝶、 富貴は三更の枕上の蝶のごとく、

功名両字酒中蛇。 功名の両字は酒中の蛇のごとし。

このような三行の「対語」のことを鼎の足が三本なのに譬えて、「鼎足対」と申します。

おれの肝や腸(つまり内面の精神)は、(あまりにツラいことばかりがあったため)百回炉の中で火を入れて鍛えられた鉄のように、もう何事にも心を動かすことなどない。

財産や地位なんていうものは、真夜中にみる夢の中で、ひらひらとんでいる蝶々のように、意味の無いものなのだ。

功名(成功した名誉)というコトバも、要するに楽廣のさかずきの中に浮かんだヘビのように、ありもしないまぼろしなのだ。

なーるほど。肝や腸が「煉られる」というのはこういうことだったんですね。

尖風薄雪、     尖風と薄雪、

残盃冷炙、     残盃と冷炙、

掩清灯竹籬茅舎。 清灯を掩わん、竹籬の茅舎に。

 (外では)するどい風が吹きまくり、雪が降り初めているようだ。

 (家の中には)残り酒と冷えたあぶりものがあるばかり。

 そろそろ燈火を消して眠ろう。竹のまがき、茅ぶきの屋根の粗末な家――おれは敗残者なのだ。

というのが、「悟世」(世の中のこと、わかったよ)です。元代の文人たちは地位も低く貧しかったんです。が、おいらたちももう年金も出なくなるし、こうなるのだなあ。悟ってしまうなあ。

 

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