ぶたとののライバルぶた公家である。公家だから高い文化を持っていると思われますが、果たしてジョークを解するであろうか。
明日は宴会があって人とコミュニケーションしないといけないみたいなんです。おいらはジョークの一つも言えないのでムリがあります。
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毛利元就さまが、ある日、酒食をともしながら近侍の者たちに訊ねた。
吾於前世人主、可比於誰。
吾、前世の人主において、誰にか比すべき。
「わしは、過去の歴史上の君主たちの中で、誰に似ているかのう」
すると、
有一儒士対曰、可比周文武。
一儒士有りて対して曰く、周の文武に比すべし。
儒者が一人おりまして、そいつが答えて曰く、
「聖人として、孔子が尊敬しておられた周の文王さま、武王さまの親子に似ておられまする」
この時代の「儒士」というのがどういうやつか難しいので、「儒者」と訳してみましたが、ほんとは茶坊主とか連歌師のようなやつらではないかと思います。
「わっはっはっはっは」
元就さま、このお答えを聴きまして、実に満足そうに笑われた。そして、その儒者というか茶坊主とか連歌師のようなやつをぎろりと睨みまして、曰く、
吾乃今知不若文武也。文武之臣、豈有面諛如爾者哉。
吾すなわち今、文武に若かざるを知れり。文武の臣、あに面諛すること爾の如き者有らんや。
「わしは今こそ、自分が文王さま武王さまにかなわないことがわかったぞ。文王さまや武王さまの部下に、おまえのような目の前でこびへつらうやつがいたはずがないからのう」
茶坊主はあまりのことに固まってしまいました。
おそろしいことでございます。
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加藤清正の息子の加藤忠廣が近侍の者たちに言った。
吾願筋力倍人。
吾願わくば筋力ひとの倍せんことを。
「わしは、ひとの倍ぐらい筋肉の力が欲しいのう」
「どうしてでございますか?」
襲両甲以臨戦、可無矢砲之懼。
両甲を襲(かさ)ねて以て戦に臨まば、矢砲の懼れ無かるべし。
「強い筋肉の力でかぶとやよろいを二つ着けても動けるようにして戦場に行けば、矢も鉄砲も貫通することはないから、大いに武勲をあげられそうだからのう」
わっはっは。わっはっは。
すると、老臣の飯田覚兵衛なるものが進み出て曰く、
先公以一領甲、建賤岳七槍之功。
先公、一領の甲を以て、賤岳七槍の功を建つ。
「先代の清正さまは、一着のよろいだけをおつけになって、賤ケ岳七本槍の功績をお建てになったのですぞ。
その後も多くの戦いで勝利され、朝鮮の役でも大活躍し、海外にまでその武名を知られた。
苟恤民愛士、則一軍皆為我用。謂之襲一軍之甲、亦可也。若不植恩信、上下懐携貳、縦襲百甲、為何用也。
いやしくも民をあわれみ士を愛さば、すなわち一軍みな我が用を為す。これを一軍の甲を襲ぬと謂うもまた可なり。もし恩信を植えず、上下貳(に)を懐携せば、たとい百甲を襲ぬといえども、何の用をか為さん。
もしも人民をあわれみ、武士を愛してやれば、一つの軍隊がすべて自分の役に立ちますでしょう。こうなれば「一つの軍隊のよろいを全部着ける」といえるかも知れません。一方、恩愛も信頼感も無く、上と下が二つのことを考えているようであれば、たとえ百着のよろいを着けたとしても、何の役に立ちますでしょうか」
「そ、そうか・・・」
覚兵衛はそのあと御前を退くと涙を流し、
「先代さまにまったく似ておられない方よのう」
と言ったそうでございます。
いくばくもなく加藤家はおとり潰しになりまして、覚兵衛は民に戻り、京都に隠れ住んだとのことでございます。
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「皇朝言行録」巻九より。元就さまはジョークを解するひとなのに、覚兵衛さんはジョークを理解してくれないようである。